美術館のキュレーターが続々ギャラリーに転職。その背景にある美術館の課題とは
近年、美術館のキュレーターがコマーシャルギャラリーに移る事例が増えている。転職後の満足度から見えてくる美術館組織の問題点、そしてギャラリー側の事情について取材した。
対照的だった美術館の面接とギャラリーの面接
美術史の博士号を持つキャサリン・ロチェスターは、10年前に自分がギャラリーで働くことになると聞かされても、きっと信じなかっただろう。最近、US版ARTnewsが取材した際、彼女はこう言った。
「美術史で大学院に進学する人の75%は、キュレーターになるのが目的でしょう。博士号まで取得するのは、コマーシャルギャラリーで働くためではないのです」
ロチェスターは、戦間期ヨーロッパの実験的アニメーションに関する論文で博士号を取得した後、15年間にわたり、VIAアート・ファンド、ゲッティ・リサーチ・インスティテュート、ホイットニー美術館などの美術館や財団でキャリアを築いてきた。しかし、彼女はこの2月、世界の4つの国と地域に拠点を持つ名門ギャラリー、リーマン・モーピンにキュラトリアル・ディレクターとして転職することを決めた。これは、自分自身でも予想外の展開だったという。
転職活動中、ロチェスターは美術館の面接も受けたが、そのプロセスで、シニアキュレーターへの過度な要求に違和感を覚えたという。彼女はこう振り返る。
「面接プロセスの途中で出された課題のいくつかは、本当に骨の折れるものでした。ある美術館からは、3年分のプログラムを予算付きで提示するように言われ……最終的に、そんな仕事はしないと決めました」
美術館からも合格の通知が来たが、ロチェスターは結局、リーマン・モーピンの仕事を選んだ。
「また美術史の専門家として仕事ができているという実感があります。私は1人のアーティストについて博士論文を書きましたが、その目的は、その作家が脚光を浴びた時期だけに着目するのではなく、キャリア全体を俯瞰して評価することでした」
採用のプロセスが比べ物にならないほど刺激的だったと話すロチェスターは、リーマン・モーピンの面接で、再び意欲をかきたてられたという。なぜなら、論文を書いたときと同様、「アーティストたちと長期的に、そして情熱を注ぎながら集中して仕事ができる」ことに気づいたからだ。
コマーシャルギャラリーのポストは、著名な美術館で働いてきたキュレーターたちの間でも人気が高まっている。ニューヨークのMoMA PS1で3年弱ディレクターを務めた後、2022年6月に突然辞任したケイト・ファウルは、この3月、4大メガギャラリーの一角、ハウザー&ワースのシニアキュラトリアルディレクターに就任した。
ロチェスターをはじめ、美術館のキュレーターからギャラリーのディレクターに転身した数人がUS版ARTnewsに語ったところによると、ギャラリーの仕事の魅力は、所属する一流アーティストと密接に連携して仕事ができることだという。ギャラリーではアーティストとの絶え間ない接触が仕事の大部分を占めるのと対照的に、美術館のキュレーターは、アーティストとの距離が縮まることはほとんどない。
ハウザー&ワースに移ったファウルは、新しいポストがアーティストとの共同作業の中で思考を深める機会を与えてくれると語った。
「私はキャリアを通じてアーティストと長期的な関係を築いてきた人間です。今はそうした関係構築が仕事の中心になっています。朝起きてから夜寝るまで、アーティストを通して、そしてアーティストとともに考え続けているのです」
ギャラリーで働くメリットは報酬面にも
多くのギャラリーがそうであるように、キュレーターも今では「アーティスト・ファースト」を掲げるようになった。10年前は、キュレーター自身が表舞台に立って独自の企画を立てることを称える風潮があったが、今では多くのキュレーターがむしろエゴを出さず、アーティストが輝けるようなソロプロジェクトや既存のネットワークを活かした展覧会を手がけている。
ファウルは過去20年間にわたり、さまざまな面で変化するキュレーションの最前線にいた。2002年にカリフォルニア・カレッジ・オブ・ジ・アーツ(CCA)でキュラトリアルプラクティスの修士課程を設立したのち、2012年にはテリー・スミスの著書『Thinking Contemporary Curating』の序文を書いている(ここで断っておくと、筆者はファウルの仕事から恩恵を受けた立場にある。2018年にCCAのキュラトリアルプラクティス修士課程を修了し、現在、アートライターの仕事のかたわら、ニューヨークの商業ギャラリーでアーティスト・リエゾンとして働いている)。
美術館のキュレーションやディレクションから、アーティストに焦点を当てたギャラリーの仕事への転身は、「キュレーションの実践というレンズを通してアートを考えてきた」ファウルの、現在の信念に合致するものだという。
「美術館の年間プログラムのあわただしさを離れ、アーティストとの持続的な関係を維持し、その過去と未来のキャリアについてじっくり考えることができるようになりました」
もちろん、報酬面の魅力も、キュレーターが美術館からギャラリーに転職する理由の1つだ。ニューヨーク芸術財団(NYFA)の求人広告をざっと見ただけでも、美術館でのポストはコマーシャルギャラリーの同レベルのポストよりも給与が低いことがわかる。たとえば、ギャラリー・アシスタントの初級職の給与は最高で年間6万5000ドル(約940万円)だが、ニューヨークのある美術館のキュレーター・アシスタントの給与は3万5000ドル(約500万円)だ。
ロチェスターより早い時期に美術館からリーマン・モーピンに転職したアンナ・ストサートは、「悲しいことに、ほとんどの美術館の給与は、やっと生計を立てることができる程度です」と語る。以前はボストン現代美術館やサンアントニオ美術館でキュレーター職にあったストサートは、リーマン・モーピンでのセールスの仕事に対する報酬のおかげで、学費ローンや個人的な借金を返済し、さらに独立して起業するのに十分な経済的安定を得ることができたという。実際彼女は、ウルスラ・ダヴィラ=ヴィラとともに、アーティストに専門的な戦略と作品管理計画を提供するコンサルティング会社、ダヴィラ=ヴィラ&ストサートを共同設立している。
ギャラリーへの転職は「ダークサイドに堕ちる」!?
キュレーターの中には、あまりマーケットに関わらない役職に就く人もいれば、従来のようなギャラリーディレクターになるケースもある。フィラデルフィアのインスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アートで10年あまりキュレーターとして働き、2015年にはチーフキュレーターの地位に就いたアンソニー・エルムスは、昨年夏にニューヨークのギャラリー、ピーター・フリーマンにディレクターとして入社。展覧会の企画に加え、プライベートセールスやアートフェアのブース担当を任されている。
ギャラリーのプログラムが自分に合うかどうかが転職の条件だったというエルムスは、あるインタビューでこう答えている。
「このギャラリーだから決めました。もともと東欧のアーティストが好きだったので、私にとって興味深い対象を扱える仕事なのです」
対照的なのは、ニューヨークのグッゲンハイム美術館やヒューストンのムーディー・センター・フォー・ジ・アーツでのキュレーター職を経てミッチェル・イネス&ナッシュのディレクターになったイリンカ・バロットだ。彼女はもっぱら、美術館での展覧会開催や作品取得に関する調整役をしているという。
「私の役割は、美術館が行う展覧会や作品取得を通して、アーティストの知名度を上げることです。おかげで、美術館のスタッフたちと密接に連絡をとり続けることができています」とバロットは説明する。さらに、かつて美術館のキュレーターとコマーシャルギャラリーのキュレーターの間にあった溝が、「最近はあまり感じられないのは健全なことで、活性化につながる」という。
とはいえ、かつては軋轢もあった。ダヴィラ=ヴィラは、ストサートと共同で起業する前に、ニューヨークのギャラリー、アレクサンダー・グレイ・アソシエイツで5年間ディレクターを務めていた。彼女がテキサス州オースティンのブラントン美術館から同ギャラリーに移ることを告げたとき、美術館のシニアキュレーターは「ダークサイドに堕ちる」と表現したという。
「私より年上のキュレーターでした。だから私は強く反論できなかったし、今にして思えば、若いキュレーターに対する態度としては不適切だったと思います」
美術館経験者を求めるギャラリー側のニーズ
一方、美術館からギャラリーへの転職が増えている背景には、ギャラリーオーナーの、美術館キュレーターの経歴がある人材を雇い入れたいという考えもある。サンフランシスコのギャラリーオーナー、ジェシカ・シルバーマンは、2021年以降、2人のキュレーターを新しい職務に採用した。シルバーマンは「彼らは1人のアーティストのプロジェクトを最初から最後まで監督した経験があるので、アーティストとの接点として働いてもらうには最適です」と語る。
以前はカリフォルニア州のサンノゼ美術館でアソシエイトキュレーターを務めていたキャサリン・ウェイドは、シルバーマンが面接の過程で、セールスと関係ない職務であるにも関わらず「お金の話をすることに抵抗がないかと尋ねてきた」と明かす。「抵抗はない」と答えたウェイドは、美術館のキュレーターも本来は「資金調達係」であり、お金に関する会話と縁がないわけではないと説明した。
大手のコマーシャルギャラリーがキュレーターを雇って展覧会を企画する動きの嚆矢となったのは、ピカソの伝記作家ジョン・リチャードソンをコンサルタントに迎えて2008年に開催された、ガゴシアンのピカソ展だ。リチャードソンの協力で、ガゴシアンはピカソの展覧会を6回実現し、ほかにもいくつかの展覧会を開催した。また2012年には、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の絵画・彫刻部門の名誉チーフキュレーター、ジョン・エルダーフィールドが特別展担当のシニアキュレーターとしてガゴシアンに加わっている。
これに続いたのは、やはりメガギャラリーのペース・ギャラリーで、アンドリア・ヒッキーが2018年に第1号として入社した。現在、ペースのキュレーター・チームは3人で運営されている。ニューヨークのMoMA PS1でキュレーターアソシエイトを務めていたオリバー・シュルツがリーダーで、ワシントンD.C.のハーシュホーン博物館と、彫刻の庭でメディア&パフォーマンス・アートのキュレーターだったマーク・ビーズリーもいる。なお、ヒッキーは2022年にペースを退社し、ニューヨークのアートセンター、ザ・シェッドのチーフキュレーターに就任した。
最近になってチームに採用されたキンバリー・ドリューは、ニューヨークのメトロポリタン美術館でソーシャルメディアマネージャーを務めた後、インディペンデントキュレーター兼ライターとして活動していた。2022年初めにペースに入ったドリューによると、美術館のときと比べ、ペースでの役割は固定的ではなく、部門を越えて協力する機会が多いという。彼女は、「ギャラリーの仕事が充実していると感じる理由の1つは、いわゆる縄張り意識のようなものがないことです」と言い、ペースが巨大企業であるにもかかわらず、過去の仕事で経験したよりも自分らしい仕事をする余地を与えられていると述べた。
低くなりつつある美術館とギャラリー間の垣根
ガゴシアン、ペース、ハウザー&ワースのような巨大ギャラリーは、充実した展覧会を企画開催し、公開講座を運営し、世界的なネットワークを持つなど、数多くの点で公的な美術館に匹敵する存在になっている。ただし、美術館とは異なり、ギャラリーは市民に対する説明責任を問われることはなく、たとえ売れているアーティストに直接関係しない野心的なプログラムを実施することがあったとしても、本来的にはアーティストのために存在する。
それでも、2019年にペースが新設した「ペース・ライブ」(音楽、ダンス、フィルム、パフォーマンスなどを扱うプログラム)を指揮するために採用されたビーズリーは、「ライブパフォーマンスの委託や作品の再演を扱う今の仕事は、かつてハーシュホーン博物館と彫刻の庭やパフォーマ・ビエンナーレで私がやってきたことと、ほとんど変わらない」と話している。
キュレーターが美術館を辞めてギャラリーに移るという今のトレンドが、どんな結果をもたらすかはまだわからない。前出のロチェスターは、転職することを同僚のキュレーターに伝えたら「ダークサイドに堕ちる」に似たことを言われるのではないかと恐れていたが、実際の反応は予想外のものだった。驚いたことに、「『それは素晴らしい。私も次はそうするつもり』と言う人が何人もいたのです」。(翻訳:清水玲奈)
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