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女性とクィアのアーティストに光を当てる美術館、NMWAがリニューアル! その成果と積み残しの課題

ワシントンD.C.にあるNational Museum of Women in the Arts(NMWA)が、10月21日にリニューアルオープンした。女性の権利をめぐる社会状況が変化する中、新たな展示の内容やそこで提起されている問題をレビューする。

リニューアルオープンしたNMWAは、以前より大きな作品を展示できるようになった。上の写真はウルスラ・フォン・ライディングスヴァルトによる3点の彫刻作品。Photo: Jennifer Hughes/Courtesy National Museum of Women in the Arts

困難に対峙してきた女性の歴史を示唆する作品

アメリカ・ワシントンD.C.にあるNMWAが改修と拡張工事のために休館したのは2021年8月。しかし、当時と比べると今のアメリカは全く別の国のようだ。この2年で女性の人工妊娠中絶の権利は著しく制限され、トランスジェンダー女性の殺人率が急上昇し、『侍女の物語』(*1)のようなディストピアが現実のものとなるのではないかという恐怖が広がっている。


*1 マーガレット・アトウッドが1985年に発表した近未来小説。極端に少子化が進んだ世界で、妊娠可能な女性たちが産む機械として扱われるディストピアを描いている。これをもとに近年Huluが制作・配信したドラマシリーズが人気を博した。

ノースウェスタン大学の教授で、活動家・著述家でもあるキーアンガ=ヤマッタ・テイラーによるニューヨーカー誌への寄稿文には、この問題の核心を突いた一文がある。いわく、「いつ、どこで、どのように妊娠や出産をするか、そもそもそれをするかしないかを決められる自由なしには、他のいかなる自由も得られない」

私がテイラーのこの文章を思い浮かべたのは、リニューアルを経て広くなった常設展示室で来館者を出迎えるニキ・ド・サンファルの彫刻、《Pregnant Nana》(1995)を見たときだった。生き生きとしたこの女性は着衣しておらず、乳首には花のような模様が描かれている。両手を上げた彼女はその瞬間を楽しんでいるように見えるが、大きく膨らんだお腹に描かれたカラフルな標的が、この女性が誰かから凶暴な視線を向けられていることを暗示している。

「私は自分が社会を変えられるとは思っていません。もし何かできるとしたら、幸せで、ハッピーで、力強い女性たちの姿を表現することだけです」

ド・サンファルはかつてそう語ったが、NMWAのキュレーターも同じような諦めを抱いているように思える。

この美術館には、歴史を通じて女性が直面してきた困難を思い起こさせる展示物がいくつもある。たとえば、美術館に並ぶ女性作家の作品がいかに少ないかを訴えるゲリラ・ガールズ(*2)のポスターもそうだ。そこで提起された問題は、ラッヘル・ライス(1664-1750)やラヴィニア・フォンターナ(1552-1614)のような、ようやく正当な評価を受け始めたばかりのオールドマスター(15〜18世紀の欧州の有名画家)の作品に関する解説文でも触れられている。


*2 アート界のジェンダーギャップや女性蔑視などへの抗議活動を行うアーティスト集団。
新しくなったNMWAの常設展示では、作品は年代順ではなくテーマ別に配置されている。Photo: Jennifer Hughes/Courtesy National Museum of Women in the Arts

「自由」に焦点を当てた展示には大規模作品も

新しくなったNMWAには、何世紀にもわたる人種差別や植民地主義を示唆する作品もあれば、喪失や病気をテーマとした作品も多い。しかし、全体として焦点が当てられているのは「自由」であり、今日のアメリカで女性であることの危険性を前面に打ち出した作品はほとんどない。展示スペースに漂うムードは、概して祝祭的で明るいものだ。

6500万ドル(約97億円)を投じた改装を担当した建築家のサンドラ・パーソンズ・ヴィッキオは、空間を分断していた柱を取り払い、軽やかで開放的なスペースを生み出している。また、スロープの追加など、目立たないが重要な変更によってアクセシビリティも大きく向上。さらに、36年の歴史を持つこの美術館に約418平方メートルの新たなスペースが創出され、以前よりも大型作品の展示がしやすくなった。

その成果は、現在開催中の企画展「The Sky’s the Limit」にも表れている。たとえば、アリソン・サールが2012年に手がけた彫刻作品《Undone》。この大型作品では、椅子に座った黒人女性の像が天井に近い位置で壁に固定されており、着ているドレスが4メートル下の床まで垂れ下がっている。そして、透け感のあるドレスの下には、彼女の股から伸びるアルミニウムの木がうっすらと見えている。

ソーニャ・クラークの《Curls》(2005)は、黒いプラスチック製の櫛を連ねて作った渦巻き状のオブジェだ。天井から床まで達するこの作品は、本来それが真っ直ぐに整えるはずの強いくせ毛のように、渦を巻いて積み上がっている。また、1つの展示室全体を占めるウルスラ・フォン・ライディングスヴァルトの背の高い木彫りの作品は、陽光が差し込む中、鑑賞者を見下ろすように屹立している。

アリソン・サール《Undone》(2012)の展示風景。Photo: Jennifer Hughes

歴史に埋もれた女性作家を再評価

壁の配置を変えたことで以前より開放的になった3階の常設展示室では、小さな作品にも新たな命が吹き込まれた。収蔵作品は年代順ではなくテーマ別に分けられ、時間的、地理的、人種的な境界を越えた展示になっている。

これによって醸し出されたのが、女性たちの連帯感だ。この連帯の感覚は、メイ・スティーブンスの《SoHo Women Artists》(1977-78)からも強く感じられる。新古典主義の歴史画を思わせる形式で描かれたこの絵の中では、批評家のルーシー・リパード、アーティストのミリアム・シャピロ、ソーホーのパン屋の店主で伝説的人物として知られるシニョーラ・ダポリートらが会話を交わしている。

ただ、常設展の作品をグループごとにまとめているテーマ(たとえば「女性による写真」など)は、あまりに漠然としていて見る者の記憶に残らないかもしれない。一方で、深く印象に残る作品同士の対話がいくつも生まれている。これらの対話は地味ながらも、わざとらしいところがなく、しばしば示唆に富んでいる。

中でも、時代を超越した対話は特にいい。ある展示室では、あまり知られていない17世紀のイタリア人画家ジョヴァンナ・ガルツォーニが手がけた絵と、シャロン・コアが2007年に発表した写真が並べられている。丸々とした果実や尖った貝殻を描いたガルツォーニの古風な静物画の上に、4つに切ったケーキを描いた静物画を写真で再現したコアの作品が掛けられているのを見ると、美術史の教科書では圧倒的に男性が優位だとされてきたジャンルにおいても、ルネサンスから現在に至るまで常に女性の活躍があったことを思い知る。彼女たちが大きく注目されることはなかったが、素晴らしい仕事を残してきた。

ウィルヘルミナとウォレス・ホラデイ夫妻の私設美術館として1981年に設立された当時、NMWAの展示アーティストの多くは今ほど名が知られていなかった。しかし現在NMWAを訪れると、ここがどれほど多くの傑作を人々に紹介してきたのかを再確認できる。その中には、レメディオス・バロ、アルマ・トーマス、ベルト・モリゾ、ローザ・ボヌール、フェイス・リンゴールドなど、近年ようやく知名度が高まってきたアーティストたちの代表作も含まれている。同時に気付かされるのは、美術史の中で依然として過小評価されている作家がいかに多いかということだ。

クララ・ペーテルス《Still Life of Fish and Cat》(1620年以後)Photo: National Museum of Women in the Arts

このほかにも、ここでは数多くの傑作に出合うことができる。ピンクと白のグラデーションが織りなす息を呑むほど美しい抽象画もその1つだ。この絵を描いたエミリー・カーメ・ウングワレーはアボリジニのアンマチャリー族の画家で、母国オーストラリアでは有名だが、アメリカではまだあまり知られていない。また、セザンヌ以上にセザンヌ的なロイス・メイロウ・ジョーンズの風景画では、大聖堂や立ち並ぶ家々の屋根の向こうに青々と美しいピレネー山脈が見える。

マリアとジュリアン・マルティネスが共同制作した黒い器も素晴らしい。アメリカの先住民、プエブロ族のマルティネス夫妻は、とうに失われたと考えられていた先祖の陶芸技術を参照し、黒地に黒い模様が浮き上がる器を作った。材料に使われた粘土は、ニューメキシコにあった彼らの家の近くで採れたものだ。

人種的多様性は増したが、クィアアーティストへの視線は不十分

美術史を構成する作家の偏りを正す必要性が叫ばれる中、NMWAはアジア人や黒人、アメリカ先住民、ラテンアメリカ系や中南米出身者など、長く周縁に追いやられてきたアーティスト中心の展示をしている。しかし、クィアアーティストの包摂に関しては、まだまだやるべきことが多いようだ。

展示作品の中には、レズビアンのアーティストによるものもある。たとえば、ミルドレッド・トンプソンが手がけた天体の爆発を思わせる鮮烈な黄色の抽象画や、ハーモニー・ハモンドによるクッションのような黒く凹凸のある作品などだ。トンプソンはレズビアンの黒人を描くこともあり、ハモンドには文字通りレズビアンのアーティストたちを主題にした美術史の著作もある。しかし、両者の作品の解説文はそうした背景を伝えておらず、彼女たちが性的マイノリティであることにも触れていない。

ザネレ・ムホリ《Katlego Mashiloane and Nosipho Lavuta, Ext. 2, Lakeside, Johannesburg》(2007) Photo: ©Zanele Muholi/Courtesy the artist and Yancey Richardson, New York/National Museum of Women in the Arts

さらに言えば、女性同士の性愛を明確に表現した作品はほとんど見当たらない。これは、NMWAからそう遠くない場所にあり、やはり最近リニューアルオープンしたスミソニアン・アメリカ美術館における現代アートの常設展示でも感じたことだが、双方に同じような欠落があるのは気がかりな点だ。

だが、少なくとも1つだけ目を引く作品がある。これを手がけたのは、南アフリカのノンバイナリーの写真家ザネレ・ムホリ。フリーダ・カーロの絵とウィルヘルミナ・ホラデイの肖像画の間に展示されているムホリの写真は、この美術館で唯一見られるクィアアートと言っていいだろう。その中では、2人のレズビアンが遠くを見つめている。彼女たちが暮らすコミュニティでは、その関係は敵視されるものだろう。にもかかわらず、彼女たちは幸せそうに微笑んでいる。もう1つ懸念されるのは、ここにトランスジェンダー女性の作品が全く見当たらないこと。その結果として、女性性に関する視点が偏ったものになってしまっている。

フェイス・リンゴールド《American Collection #4: Jo Baker’s Bananas》(1997)Photo: ©1997 Faith Ringgold/Photo Lee Stalsworth/National Museum of Women in the Arts

ある身体が他の身体よりも重要視されている環境で、全ての人々が自由を手にすることはできるだろうか? NMWAで未解決のままにされているこの問いは、館内に展示されているいくつかの作品によっても投げかけられている。

そうした作品の1つが、アーティストブックをテーマにした特別展示室の企画展に展示されている。テキストがプリントされたハンカチを用いた、マリア・ベロニカ・サン・マルティンの《Mujeres Buscadoras, Fragmentary Memory, Chile》(2023)だ。

チリでは死者を弔うためにハンカチを振る伝統があったが、ピノチェト政権下ではそうした悲しみの表現が禁止されていた。この作品は、独裁政権に立ち向かったため殺されたり行方不明になったりした若者の母親たちが、あえてハンカチを振ってみせたことにちなんでいる。作品の片側には砂を入れた小袋が並び、反対側には何枚かのハンカチと小さなシャベルがフェルトのケースに収められている。小さなシャベルは、存在を消されてしまった者を掘り起こそうとする誰かを待っているようだ。(翻訳:野澤朋代)

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