富裕層増加がロンドンに与える光と影。ラグジュアリーとアートの蜜月は続くのか?
今年に入り、世界経済停滞の影響が色濃くなったラグジュアリー市場。一方、アート市場では、ロンドンの地位低下が取り沙汰されるようになっている。イギリスで近頃発表されたラグジュアリー業界団体の報告書から見えてきた、両者の関係と今後の展望とは?
ラグジュアリーブランドとアート界の蜜月に暗雲?
10月初め、イギリスのラグジュアリーブランドを統括する業界団体のウォルポールが調査報告書を発表した。それによると、ロンドンのラグジュアリー業界は富裕層に人気のある美術館やギャラリーなどの文化施設を活用し、文化施設は新しい来場者を惹きつけるのに高級ブランドを活用する互恵関係にある。
しかし、芸術分野への資金援助がこのまま減少を続ければ、イギリスに1060億ドル(直近の為替レートで約16兆円、以下同)の経済効果をもたらしているラグジュアリー市場がリスクに直面する可能性があると同報告書は警告している。実際、イギリス政府による文化関連支出は、2011年以降23億ポンド(約4500億円)も減少した。
ウォルポールの報告書は、ラグジュアリー市場の売り上げが世界的に低迷する中で発表された。コンサルティング会社ベイン・アンド・カンパニーのアナリストがこの6月に出した予想では、2024年の成長率は0〜4%にとどまるとされている。
とはいえ、イギリスのラグジュアリー市場の見通しは悲観的なものだけではない。ロンドンでは富裕層が増加していることから、高級品ビジネスは成長軌道に戻るだろうとの予測もある。ウォルポールの調査では、ロンドンの富裕層22万7000人のうち約80%が、2024年の可処分所得は変化なし、あるいは増加する見込みだと回答。また、不動産コンサルティング会社CBREグループは、2024年第2四半期に小売業への投資が71%増加したほか、1500万ポンド(約29億円)以上の高級不動産物件の販売数が急上昇し、2023年比で25%増になったと報告している。いずれのデータも、ロンドンの超富裕層の間で経済的安定が続いていることを示すものだ。
ウォルポールのヘレン・ブロックルバンクCEOは、ロンドンの特性とラグジュアリーブランドの動向について報告書でこう記している。
「ロンドンのラグジュアリー市場を形成するファクターは、『文化創造都市』としての役割と密接に結びついています。また、高級品を販売するだけでなく、ラグジュアリーな体験を提供する方向へと業界がシフトしていることが、ロンドンの地位を維持する上で重要なポイントです。そして、ロンドンが誇る世界的ソフトパワーの大部分は、この都市のクリエイティブ産業が源泉となっています」
同報告書はまた、ロンドンの美術館やギャラリーが、ラグジュアリーブランドと潜在顧客との接点になっていると指摘する。たとえば、2023年にヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)が開催したココ・シャネル展は、40万人を超える来場者を動員し、同館への来場者増に貢献。この9月には、イギリスの高級シューズブランド、マノロ・ブラニクが、2025年秋にV&Aで開幕するマリー・アントワネット展のスポンサーに決定したことが発表された。
マノロ・ブラニクは、過去にもヨーロッパのハイカルチャーをプロモーションに取り入れている。2019年には、貴族の元邸宅で17〜18世紀の美術品などを展示しているロンドンのウォレス・コレクションとのコラボレーションを行い、ブラニクの靴と絵画を組み合わせた展覧会を開催。同年のウォレス・コレクションの入場者数は30%増になったとされる。しかし、今回の発表の1カ月前には、マノロ・ブラニクが10%の売り上げ減になったことが明らかになっている。
報告書では、アートとラグジュアリーブランドによるコラボレーションの成功例が十数例挙げられ、ハイエンドの文化イベントや美術品販売が裕福な観光客を惹きつけることで、ラグジュアリーブランドにビジネスチャンスがもたらされるとしている。ベインの分析によると、外国から(大半はアメリカから)イギリスを訪れる富裕層観光客の消費額は、平均的なツーリストの14倍に達する。その一方で、今年の海外からの観光客数は約3870万人と前年比で横ばいにとどまり、消費額は減少すると予想されている。そのためウォルポールは、イギリスが「高額消費が見込まれるインバウンド観光客の獲得競争に勝てない」可能性があると警鐘を鳴らしている。
アート都市としてのロンドンの存在感を今後も維持できるか
ウォルポールの報告書は、現在活動しているアーティストへの支援をないがしろにすることのリスクについても触れている。この点について意見を求められた文化部門の専門家や財務コンサルタントは、公的資金の削減や芸術教育の縮小により、ロンドンがクリエイティブ産業の労働力を維持できなくなりかねないという見方を示した。
昨年のある報告書では、ロンドンのアーティストが経済的な窮状にあることが示された。それに関して英ガーディアン紙の取材を受けたロンドン文化・クリエイティブ産業担当副市長のジャスティン・サイモンズは、アーティストのスタジオスペースが失われている原因はジェントリフィケーション(都市の富裕化現象)にあるとして、こう述べている。
「ロンドンをはじめ、活気のある文化的生活が営まれている都市では、私たちみんなが大切に思っていることの多くが十分な保護を受けていません」
また、2023年のフリーズ・ロンドン開催時にファッション専門誌WWDの取材を受けたフリーズのサイモン・フォックスCEOは、フリーズはロンドン市長と協力してロンドンアート界のエコシステムが抱える課題に対応し、「ヨーロッパにおける文化首都としての優位性」を維持するための支援を行っていると強調した。ちなみに、フリーズの親会社エンデバーはロサンゼルスが本拠地だが、過去10年にわたり、フリーズ・ロンドンのプレビュー期間にテートの作品購入を援助している。
最近アート界では、ロンドンが今後もアートハブの地位を維持できるかが話題の中心になっている。10月はフリーズ・ロンドンの翌週にアート・バーゼル・パリが開催され、両者の対決の様相を見せたが、アーティストやディーラー、市場アナリストの間ではロンドンの重要性が低下つつあるという見方が広がっている。
フリーズ・ロンドンのプレビューでは、ナイジェリア系イギリス人のアーティスト、インカ・ショニバレがニューヨーク・タイムズ紙の取材に応じ、1990年代から2000年代初頭にロンドンの現代アートシーンを盛り上げたエネルギーが、今では弱まっていると語った。アーティストがスタジオの家賃を払い切れなくなり、徐々に街から追い出されるようになっている影響は致命的だと考えるショニバレはこう嘆いた。
「業界は停滞し、ロンドンは多くのものを失いつつあります」
一方、ウォルポールの報告書作成のために取材を受けたフリーズの共同創設者、マシュー・スロットオーバーは、売上高や来場者数で競合関係にある他の都市に比べ、ロンドンはアート鑑賞者の層が幅広いとしてこう反論した。
「最近、ある人がこう言いました。ロンドンのアート界における重要なプレーヤーは500人だが、アートに興味を持つ人は50万人いる。一方、ニューヨークには重要プレーヤーが5000人いるが、それで終わりだと」(翻訳:清水玲奈)
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