イヴ・サンローランの大回顧展がパリの6美術館で同時開催。名画と呼応する彫刻的ドレスの世界へ
ピカソ、マティス、リキテンスタインからウォーホルまで、イヴ・サンローランは美術史を彩る多くのアーティストからインスピレーションを得たデザイナーだ。そして、そんな彼は常にアート界から愛されてきた。
1983年、メトロポリタン美術館の服飾研究所(コスチューム・インスティテュート)が、サンローランの回顧展を開催。存命中のオートクチュールデザイナーに焦点を当てた初の展覧会で、以後数十年間、世界中の美術館で爆発的に増加したファッション関連展覧会の先駆けとなった。
そして今、イヴ・サンローランの類まれな才能を振り返る展覧会がパリの6つの美術館で開催されている。おそらくファッションデザイナーの回顧展としては、過去最大規模のものだろう。5月まで続くこの回顧展が、全会場で一斉にオープンしたのは1月29日。60年前の同じ日、当時26歳のサンローランは、自身の名を冠したブランドのデビューコレクションを発表した。会場となったのはサンローランの最初の家で、かつては印象派の画家、ジャン=ルイ・フォランのアトリエだった場所だ。
この記念すべき日を祝うために結集したパリの六つの美術館は、ポンピドゥー・センター、パリ市立近代美術館、ルーブル美術館、オルセー美術館、ピカソ美術館、そしてもちろんイヴ・サンローラン美術館だ。色彩、文学、フランスの職人技など、各館がそれぞれ異なるテーマを掲げている。
ピエール・ベルジェ=イヴ・サンローラン財団に6会場での展覧会を提案した共同キュレーターのムーナ・メクアーは、次のように語っている。「驚いたことに、全美術館が(この企画を)歓迎してくれました。苦心したのは、各会場の常設展示に違和感なく溶け込ませながらも、サンローランの作品が印象に残るようにすることです。それぞれの美術館の個性を損ないたくなかったので」
展示構成にあたって、メクアーと共同キュレーターのステファン・ヤンソンは、各美術館の学芸員や保存修復チームと密接な連携を行った。ポンピドゥー・センターでは、5階と6階の展示スペースを使用。サンローランがデザインした服は、歴史上の偉大な芸術家の絵画のように壁に掛けられ、彫刻のようにそびえ立っている。メクアーは、「靴も帽子もスカーフもなく、ありのままの服だけがそこにある。小物がないことで効果が際立つんです」と説明する。
また、デザインのヒントとなったアート作品との対比も見られる。その一例が、ピート・モンドリアンの独特な格子状の抽象表現を取り入れたウールジャージーのカクテルドレス(1965年)のように、絵画からの直接的な引用が明らかなデザインの展示だ。ポンピドゥー・センターでは、このドレスとモンドリアンが1937年に描いた《Composition en rouge bleu et blanc II(赤、青、白のコンポジションII)》が対で展示されている。この2作品の関係は、サンローランのコレクションがモンドリアンの知名度を一気に高めたという点で、さらに大きな意味を持つ。
「サンローランが、モンドリアンを1965年秋冬コレクションのテーマにしようと決めた時、モンドリアンを知っていたのは美術史家だけでした。サンローランは、彼をより広い層に知らしめるきっかけを作ったわけです」とメクアーは言う。ポンピドゥー・センターは1969年にモンドリアンの初回顧展を開催し、1975年にはその作品をパーマネントコレクションに加えている。
ポンピドゥー・センターのチームは、サンローランを、ベラスケス、ゴヤ、ボッティチェリといった古い時代の芸術家だけでなく、同時代を生きる現代アート作家からもインスパイアされた人物として演出している。1981年に発表されたイブニングドレス「フェルナン・レジェへのオマージュ」は、隣に展示されているキュビスムの作家フェルナン・レジェの《Polychrome Flower(ポリクロームフラワー)》(1952)と同じ色調で作られている。
また、マルシャル・レイスの《Made in Japan - La Grande Odalisque(メイド・イン・ジャパン−グランド・オダリスク)》(1964)は、フォックスファーのコート(1971)と並んでいるが、どちらも鮮やかなエメラルドグリーンが特徴だ。その先の展示室には、1979年から2002年までのさまざまなコレクションを写した500枚を超えるポラロイド写真で覆われたテーブルがあり、サンローランの並外れて多作なキャリアを伝えている。
一方、パリ市立近代美術館は、サンローランが目指していた色彩の動きに焦点を当てている。衣服に使われている繊維の多くは光に弱いため、自然光が降り注ぐ展示室が多い美術館では、常設展の一部を入れ替える必要があった。その典型例がピエール・ボナールの展示室だ。このナビ派(*1)の画家の影響が見て取れるオーガンザの衣装2点と一緒に見せるため、ボナールの《庭》(1937年頃)と《昼食》(1932年頃)は、いつもより光量が抑えられた展示室に移されている。別の展示室では、ルチオ・フォンタナのネオンを用いた作品との組み合わせが見られる。サンローランもフォンタナも、光の彫刻を夢見た作家で、両者ともネオンを創作に取り入れている。
圧巻なのは、展示空間いっぱいに広がるラウル・デュフィの巨大壁画《La Fée Electricité(電気の精)》(1937)に取り囲まれた、三つのドレスの展示だ。鮮やかな宝石のような色調のドレスと別色の上着の組み合わせが、見事に壁画とマッチしている。このドラマチックな対比は、回顧展全体で最も印象深いインスタレーションかもしれない。
ルーブル美術館では、「さまざまな選択肢があった」とメクアーは言う。「ゴヤやベラスケスなどスペインの画家たち、あるいはルネサンス期の巨匠たちとの組み合わせも考えられたのですが、サンローランが豪華な空間を好んだことから、最終的にGalerie d’Apollon(アポロンの間)での展示を決めました」
1887年以来、この展示室には宝石に彩られたフランス王室の王冠が展示されている。一方、サンローランは、自らのデザインにジュエリーを使ったことでも知られている。彼は共に働いてくれた人たちへの感謝を込めて、「Hommage à ma Maison(私のメゾンへのオマージュ)」(1990年春夏コレクション)で水晶を使ったジャケットを制作した。この作品は、近くに展示されているルイ14世時代の水晶の花瓶と呼応している。また、サンローランが1962年にMaison Scemama(メゾン・セメマ)にデザインを依頼し、お気に入りのモデルがランウェイに出る前に渡していたハート型のジュエリーも展示されている。この儀式は彼の最後のショーまで続けられたという。
サンローランはまた、マルセル・プルーストの大ファンで、20世紀のフランスを代表する傑作、『失われた時を求めて』を子どもの頃から愛読していた。プルーストは、サンローランの代表作かつ最も画期的なデザインとして知られる女性用タキシードスーツ、ル・スモーキングを生んだ発想の源泉の一つと考えられている。
オルセー美術館の展示は、彼のプルースト愛を軸に構成されている。1971年にロスチャイルド男爵がフェリエール城で開催したプルーストをテーマとする舞踏会では、出席者の衣装をサンローランがデザインしたが、そのためのスケッチも展示されている。そのうち、ロスチャイルド男爵夫人とジェーン・バーキンが着たベル・エポック風のドレスが、最上階のブックストア脇に展示された。
ピカソ美術館にとっては、展示の方向性は自明のものだった。このスペインの巨匠に対し、サンローランはさまざまなオマージュを捧げ、数々の絵画やバレエ・リュス(ロシアバレエ団)のためのデザインを何度も引用している。今回展示されているネイビーブルーのジャケットは、《Portrait de Nusch Eluard(ヌーシュ・エリュアールの肖像)》(1937)に描かれているものを、そのまま引き写したかのようだ。その隣の黒いドレスの模様は、《Buste de femme au chapeau rayé(縞模様の帽子を被った女性の胸像)》(1939)に似ている。いずれも1979年のコレクション「ピカソとディアギレフ(バレエ・リュスの主宰者)へのオマージュ」からのもの。このコレクションが発表されたちょうど3カ月後、ピカソの親族が相続税の代わりに作品をフランスに納めることが確定し、これがピカソ美術館の創設につながった。
今回の大回顧展の中核として位置付けられているのが、イヴ・サンローラン美術館だ。ここでは、ボタンやプリントの選択から靴や帽子の形に至るまで、サンローランの服作りの過程を再現している。展示されている服は、ゴッホの有名な連作「ひまわり」をきらびやかにアレンジした「Homage to Vincent Van Gogh(フィンセント・ファン・ゴッホへのオマージュ)」(1988年春夏コレクション)のみ。かつてアトリエとして使われていた部屋には、リネンの試作品が展示されており、その中にはジョルジュ・ブラック風のパターンが描かれたものもある。かつてこの部屋では、お針子たちがサンローランのチェックを受けるために待機していた。
同美術館の最初の展示室では、2002年に開かれたサンローラン引退前の最後のショーがコレクションのスケッチで再現され、他の五つの美術館では、これらのスケッチをもとにした服が展示されている。六つの会場で開催されているこの大規模展覧会は、どの順番で見てもいいが、イヴ・サンローラン美術館の展示は、一人のクリエイターの広範囲な仕事を辿る旅の起点としても、終着点としても意味のあるものだ。今回の回顧展をいくつもの島が集まる群島にたとえるキュレーターのメクアーは、「ヒントや手がかりを追うのが好きな人にとっては、宝探しのような体験」になるだろうと語っている。(翻訳:野澤朋代)
※本記事は、米国版ARTnewsに2022年1月31日に掲載されました。元記事はこちら。