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「美術界のヒエラルキーを解体する」──インド初の大規模現代アート美術館が問い直す、美術館の役割

インド南部の大都市ベンガルール(バンガロールから改称)の中心部に、ステンレス板に囲まれた箱型の建物が竣工した。約4000平方メートルの敷地に建つのは、ミュージアム・オブ・アート・アンド・フォトグラフィー(以下、MAP)。現代インドの視覚文化を包括的に紹介するインド初の大規模美術館で、この国における美術館のあり方を変えることを目指している。

ベンガルールにオープンしたばかりのミュージアム・オブ・アート・アンド・フォトグラフィー(MAP)。Photo: Iwan Baan

一般の人々が、アートと深く関われる場を

MAPが重視しているのは、地域の人々とのつながりや、コミュニティ同士の接点を作り出すことだ。全ての人々にとってアートを開かれたものにし、集合的な対話の場を作りたいという思いは、美術館の外観にも現れている。ストリート・アーティストのマルコ・サンティーニが手がけた白黒の壁画には、地域住民から寄せられた言葉──たとえば、meaningful(有意義な)、mirror(鏡・反映)、inspiration(インスピレーション)など──がスプレーで書かれている。

MAPの設立資金は、慈善活動家でコレクターのアビシェク・ポダーが提供した。2月に開かれた内覧会で彼が語ったところによると、長年インドのアートシーンに出入りした体験から、「人生観が変わるような感動を他の人々と共有したい」という思いのもと、独自のキュレーター的ビジョンを実現するためというよりも使命感に駆られて、この美術館創設を構想したという。一般の人々が自国でより深くアートと関われる環境を作ることで、インドでも気軽に美術館に足を運ぶ文化を育てたい、とポダーは語る。

「インドでは、美術館というのはエリート主義的で、芸術分野に関わりのない一般人には縁遠い場所だと思われています。私たちは、この美術館をできる限りインクルーシブな場所にしていきたいと考えています」

多様な背景を持つ人々から意見を集め、ハイアートと大衆芸術の間のヒエラルキーを解体し、表現形式の間の垣根を取り払っていく──そんなポダーの考えが反映された6万点に及ぶコレクションには、絵画、彫刻、紙などの作品以外にも、テキスタイルやヒンディー語映画にまつわる品々、既存のインド美術史から排除されてきた先住民アーティストの作品などが含まれ、その全てが同等に扱われる。

ベンガルールのMAPの塀に描かれたマルコ・サンティーニの壁画。Photo: Iwan Baan

建物はコンパクトな5階建てで、柱のない広々とした明るい空間でアートに触れることができる。5つの展示室、イベントホール、インドの芸術と文化に関する広範な資料が揃うライブラリー、そして保存修復センターからなるMAPは、インド人の視点からインド美術史を再構築するための場だ。この姿勢は、オープニング時の企画展(たとえば、常設作品の中で女性がどのように描かれているかを探求した展覧会や、著名アーティストによる一般に知られていない写真作品のアーカイブに関する展覧会など)にもよく現れている。

失われつつあるインドの生活様式を記録した写真アーカイブ

160点以上の写真に加え、コンタクトシート(ネガフィルムのベタ焼き)や旅行記が展示された「Jyoti Bhatt: Time and Time Again」展では、アーカイブの保存に焦点が当てられている。一般にはモダニズム絵画の画家として知られるジョティ・バットは、20世紀後半に消滅しつつあったインドの生活様式や職人の仕事をカメラに収めていた。ポダーがインド最大級の写真アーカイブを保有していることから、バットは自分が撮り溜めてきた写真の保管場所としてMAPが最適だと考え、約1000枚のプリントと6万本のネガフィルムを同美術館に寄贈した。

いつでもどこでも気軽にシャッターを押せる今の時代、写真は非常に身近なメディアとなった。そうした環境で育った若者たちにこの写真展に足を運んでもらい、150年以上にわたって進化を遂げてきた写真の歴史に触れてほしいとMAPは考えている。

ジョティ・バット《A courtyard in Banasthali village (Rajasthan)》(1972) Photo: Courtesy the artist and MAP Bangalore

この展覧会のキュレーターで、MAPアカデミー(同美術館の教育プログラム)のディレクターでもあるナサニエル・ガスケルはこう述べる。

「バットの日記やコンタクトシートを見ると、写真がいかに時間のかかる物理的な工程から成り立っていたかが分かります。自撮り写真でアバターが作れてしまう今では、考えられないような手間がかかっていたのです」

インド初のデジタル・ミュージアム

2018年に建設が始まったMAPは、本格オープン前の2020年12月に、インド初のデジタル・ミュージアムの1つとしてウェブサイトを開設した。コロナ禍で人々の美術館との関わり方が物理的にもデジタル的にも根本的に変わったことを考えると、これ以上ないタイミングでのローンチだったと言える。このオンライン・プロジェクトには、バーチャル展覧会、アーティスト・トーク、VR体験の他に、オンライン講座や美術史事典など、南アジアの美術史について学べる広範なリソースをデジタルで提供するMAPアカデミーも含まれているのが特徴だ。

全てがメタバース化していく今の時代にも、美術館の存在価値があることを証明する試みでもあるMAPだが、これを達成するためには積極的なテクノロジーの活用が必須であると、カミニ・サウニー館長は考える。「デジタルネイティブの言語を使って対話を促す」のが彼女の戦略だ。

MAPは、世界的なコンサルティング・ITサービス企業のアクセンチュアと共同でデジタルプロジェクトを進めている。たとえばAI技術を用いて作られた故人の作家、M・F・フセインの3Dホログラムもその1つだ。2021年に公開されたこのプロジェクトによって、観客はオンライン美術館で、そして今では物理的な美術館でも、インドのモダニズムの先駆的アーティストと話すことができる。また、サスケン・マルチメディア・ギャラリーというセクションでは、展示されていない作品も含め、MAPが所蔵する全作品の情報にアクセスできる。

タルール・L・N《Hack Geek》(2022)Photo: Mallikarjun Katakol/Courtesy the artist and MAP, Bangalore

AIと伝統的な信仰体系の交差点を探求している現代アーティスト、タルール・L・Nの個展「Chirag-e-AI」では、ヒンドゥー教の古代神話と、現代のAIをめぐる言説を題材にした彫刻や映像作品が展示されている。たとえば、美術館が所蔵する18~19世紀のランプにヒントを得て作られた作品は、半人半獣のプルシャムリガをモチーフにしている。光速で動くこの生き物は、シヴァ神の敬虔な信徒しか見ることができないという。

AIを組み込んだ機械は、現代のプルシャムリガと言えるでしょう。人間を模倣するように作られた機械は、人間に匹敵する能力を獲得できるよう、どんどんバージョンアップされています。AIを搭載した機械は、今や人間のように考え、働けるようになってきています」

こう語るタルールは、AIには「助ける力と破壊する力の両方があるのです」と考えている。

彫刻が並ぶMAPの中庭。現在は彫刻家スティーブン・コックスの「Dialogues in Stone」展が開催されている。Photo: Iwan Baan

MAPが焦点を当てているのは、デジタル技術を駆使するアーティストだけではない。充実したコミッション・プログラムを運営する同美術館の依頼で制作された、さまざまな表現形態の20点の新作が敷地内のあちこちに展示されている。たとえば、デザイナーとしても活動するアーティストのアリック・レヴィは、以前から継続して取り組んでいる「Rock Sculptures」シリーズの新作、《Rock Formation Tower》を制作。この作品はベンガルール近辺で見られる積み重なった岩に似た彫刻だ。彼が作る金属製の多面体彫刻は、この地域の古い地質と共鳴するものだ。

レヴィ作品に近い中庭には、イギリス人彫刻家のスティーブン・コックスの作品が並ぶ。これは彫刻庭園のデビューを飾る「Dialogues in Stone」という展覧会で、大きな力を持つ女神や賢者、ヨギーニ(ヨガをする女性)、リシ(聖者)などを表現したシンプルで力強いフォルムの彫刻を見ることができる。ベンガルールのあるカルナータカ州に隣接するタミル・ナードゥ州の採石場で取れた玄武岩を用い、地元の石工によって彫られたコックスの彫刻は、ファインアートと工芸の間の溝を埋めつつ、深い精神性が感じられる超越的な作品に仕上がっている。

MAPで開催されている「Visible/Invisible」展の様子(2023年撮影)。Photo: Iwan Baan

美術分野で周縁に追いやられてきた「女性」の存在に焦点

MAPのオープニングに合わせた企画展の中でも特に強い印象を残すのは、サウニー館長が企画した「Visible/Invisible」展だ。この展覧会の主役は女性、というより「芸術作品における女性の描かれ方」と、「女性の描写に女性の考えが反映されにくいこと」という2つの相反する事象に焦点が当てられている。サウニーは、インドの女性が「公共空間」から姿を消しつつあった時期、つまり全労働者のうち女性が占める割合が20%まで低下した2020年に、この展覧会を構想し始めたという。

「女神と人間」「セクシュアリティと欲望」といったタイトルが付けられた4つのセクションに分かれたこの展覧会では、MAPの収蔵品から選ばれた130点以上の作品(主に20世紀に制作されたもの)が並んでいる。美術の分野でずっと周縁に追いやられてきた女性たちがいかにして立ち上がり、自らの物語を語ってきたかを辿る力強い展示だ。たとえば、ベンガルールを拠点に活動するフォトパフォーマンスアーティストのプシュマラ・Nは、ジェンダー、地域性、歴史を問い直すために様々なペルソナを演じ、アルピタ・シンの作品《Devi Pistol-wali》(1990)は、戦いの女神ドゥルガーを今までにない捉え方で表現している。

アルピタ・シン《Devi Pistol-wali》(1990) Photo: Courtesy the artist and MAP, Bangalore

「Visible/Invisible」展には、グルジート・シンやアクシャタ・モカシのような現代のアーティストが古い時代の作品を再解釈して制作した作品も展示されている。たとえば、モカシは、19世紀に描かれたラクナウの高級娼婦の肖像画をもとに、装飾が施されたカラフルなテキスタイル作品を作った。

過去と現在を結ぶこうした作品は、来館者の心に刺さる展示を模索するサウニー館長の企画に沿うものだ。過去を明らかにしながら、未来への手がかりを提供する展示作品に内包されるストーリーを「解き放つ」ことによって、それを「観客にとって身近で意味のあるもの」にしたいと彼女は述べている。さらに「所蔵品を通してアイデアを提供したり対話のきっかけを作ったりしながら、観客との文化的交流を生み出す」インキュベーターとしての役割をMAPが担っていきたいと付け加えた。

この美術館の成功や、文化施設そのものの変革というより大きなプロジェクトの成功は、地域コミュニティの反応にかかっている。さらに大事なのは、「地域の人々がこの場所を自分のものだと感じられるようにすること」だとサウニーは語る。「帰属意識と誇りを持ってくれれば、彼ら自身が最高のアンバサダーとなって、その価値を伝えてくれるでしょう」(翻訳:野澤朋代)

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