「喪失」をめぐる2人の作家の物語──石内都×頭山ゆう紀「透視する窓辺」KYOTOGRAPHIE 2023

2023年4月15日から5月14日まで、京都で国際写真展「KYOTOGRAPHIE2023」が開催中だ。その1プログラムである「透視する窓辺」展は、写真家の石内都と頭山ゆう紀による2人展。会場である1738年創業の帯屋、誉田屋源兵衛 竹院の間に備わった庭や階段といった空間を活かした今回の展示は、いかに生まれたのか。開催初日に行なわれた作家2人によるトークイベントでの発言を通じて、同展示の背景にせまる。

トーク会場となった大店町家の縁側で談笑する石内都(左)と頭山ゆう紀(右)。群馬県桐生市の出身で横須賀で育った石内と、千葉県出身の頭山にとって、関西での展示制作は驚きが多かったようで、「おでん屋では関東でいう『がんもどき』が『ひろうす』と呼ばれているなんて知らなかったよね」と笑い合うシーンも。Photo: 堀井ヒロツグ

持ち主に対する興味を掻き立てる古い口紅や刺繍があしらわれたシュミーズ、鶴や桜など豪華絢爛な柄に彩られた振り袖……。《Mother's》は、写真家の石内都が2000年に亡くなった自身の母の遺品と向き合うなかで生まれた作品だ。同シリーズは、2005年のヴェネチア・ビエンナーレ日本館など、世界のさまざまな場所で展示が行なわれてきた彼女の代表作でもある。

「透視する窓辺」は、ケリング・グループが2015年から継続してきた女性のビジュアルアーティストを称えるプログラム「ウーマン・イン・モーション」が支援する展示であり、石内の《Mother's》、そして石内が2人展のパートナーとして選んだ頭山ゆう紀の代表作《境界線13》、そして頭山が、今は亡き祖母の介護中に撮影した新作が、京都の老舗帯匠、誉田屋源兵衛が店舗を構える築100年超の大店町家の竹院の間に展示されている。

今回の展示は、建築家、千種成顕(ICADA)が空間設計を手がけた。石内 都・頭山ゆう紀 A dialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama「透視する窓辺」With the support of KERING’S WOMEN IN MOTION |誉田屋源兵衛 竹院の間|©︎ Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

《境界線13》は、頭山が自身の友人の事故死による喪失感をきっかけに撮影を始めた2008年の作品だ。KYOTOGRAPHIE初日に同会場で行われた石内と頭山、そしてモデレーターを務めた赤々舎代表の姫野希美によるアーティストトークで、石内は、自身が審査員を務めた2006年の第26回「ひとつぼ展」で頭山のこの作品に出合い、「何かが写っている」と感じたと当時のことを回想する。その後、2022年の榛名湖アーティスト・レジデンスで頭山に再会し、頭山が祖母の介護をしながら制作した作品があると聞き、「その作品は見たことはなかったけれど、もともと写真のセンスはとってもいいと確信していた」ことから、今回の2人展のコラボレーターとして頭山に声をかけたという。

頭山は18歳のころに、沖縄で開催された石内のワークショップに参加したことがあるという。石内の《Mother's》は大きく影響を受けた作品の一つ。Photo: 堀井ヒロツグ

一方の頭山は、今回展示した新作を作品として発表する予定はもともとなかったと話す。コロナ禍での介護という閉塞感のある環境のなかで、「気持ちを切り替えるための切実な行為として」祖母の部屋の窓の向こうにある風景をカメラに収めていった。そのエピソードを聞いた石内は、自身の《Mother's》も当初は作品として発表する予定はなく、母の死にどうにか向き合うために遺品を撮影していたのだと明かし、こう続けた。

「母の死から23年が経ち、その間、《Mother's》はこれまで様々な場所で展示され、多くの人々に見てもらった。それによって自分の母が誰かの母に重なり、良い意味で自分の手から離れた存在になった。展示というものは、同じシリーズでも、テーマと場所によって見え方は全然変わる。今回の展示でも、新しい母に再会できた気がするし、これまでとは異なる《Mother's》をお見せしているという感覚があります」

2人の作家がつながる空間

23年前に石内が亡くした母親、頭山が15年前に亡くした友人、2年前に亡くした祖母に関連した作品が展示されている「透視する窓辺」展では、会場に入って左側の空間に石内の作品、右側の空間に頭山の作品が並ぶ。その2つの空間をつなぐ中間領域では、頭山が撮影した窓ガラス越しにリフレクションした部屋の内部と外の庭の写真を「背景」に、2人の作品が交差する。各写真にキャプションはなく、作家名も明示されていない。身近な人間の「死」に関連する2人の作家の物語が、どこか溶け合っていくような印象を受ける。

頭山は、今回展示した新作について、「介護中の祖母にせん妄の症状が現れて、壁に墨絵が見えるといい始めたんです。そのとき彼女が見ていた世界を想像しながら撮影しました」と語る。京都の町家の特徴ともいえる解放感のある中庭が対置されていることもあり、それらの写真からは「家から出られない」という閉塞感よりも、外に向けた視線の切実さが伝わってくるようだ。

石内 都・頭山ゆう紀 A dialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama「透視する窓辺」With the support of KERING’S WOMEN IN MOTION |誉田屋源兵衛 竹院の間|©︎ Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

2人の物語が出合う中間領域の壁面に、頭山の作品を拡大して「背景」として用いようというアイデアを発案したのは石内だ。それは、「写真の上に写真を展示したら面白いかもしれない」というシンプルな動機からだったが、展示プランを考える過程で自分が《Mother's》を撮影した当時のことを思い出したという。

「例えば母のシュミーズを撮影した作品がありますが、庭を望むガラス戸に貼り付けて撮影していたため、初期の段階では、庭が透けて写り込んでいたんです。プリントしてみたら、背景の庭がうるさいと感じ、結局トレーシングペーパーを二重に窓に貼って庭の存在を消したという経緯があります。頭山さんが写した庭の写真を背景にしたのは偶然でしたが、そんな過去を急に思いだしました」

会場の老舗帯匠「誉田屋源兵衛 竹院の間」に合わせるように、石内は「和物」が被写体となった作品をセレクトしたという。「自分の作品をどこまで客観的に見れるかを大事にしながら、空間に向き合っています」石内 都・頭山ゆう紀 A dialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama「透視する窓辺」With the support of KERING’S WOMEN IN MOTION |誉田屋源兵衛 竹院の間|©︎ Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023
石内 都・頭山ゆう紀 A dialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama「透視する窓辺」With the support of KERING’S WOMEN IN MOTION |誉田屋源兵衛 竹院の間|©︎ Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

「女性で生きている」わけではない

祖母が逝去してしばらくして、頭山は自身の母親を亡くした。石内と同じ「母の喪失」に、頭山はどう向き合おうとしているのか。

「母がかつていた風景を撮りたいなと思っています。自分のことをあまり話さない人だったので、死後彼女が生まれ育った場所を感じるなかで驚くことも少なくなくて。海の前で育ったんだ!とか……。撮影を通じて母を知れるというリアリティがあるんです」

トークイベントの司会を務めたのは、赤々舎社長の姫野希美。赤々舎からは頭山の作品集『境界線13』が刊行されており、展示された頭山の新作をまとめた作品集も同社から出版予定だという。Photo: 堀井ヒロツグ

頭山のこの発言に、石内は共感を寄せる。というのも、今回の展示は石内が母親のことを理解するプロセスの一部になったのだという。頭山の庭の写真をきっかけに、シュミーズの向こうに庭が透けて見えていたことなど撮影した当時のことを振り返りながら、母を理解できなかった過去を振り返っているのだ、と。

「わたしは母と、あまり上手くコミュニケーションが取れなかった。でも、目の前にある母の遺品をとにかく撮るうちに、そして、《Mother's》を展示するたびに、『そうだったのか』と思うことがあるんです。昔は母を女性として見ることができなかったけれど、いまでは母と娘という境界線を越えて、ひとりの女性として彼女を理解していけるような気がしています」

女性であること──それは、石内と頭山の共通点でもあり、2人展のきっかけとなったケリングの「ウーマン・イン・モーション」プログラムの根幹でもある。しかし石内は、「女性写真家」という枠にはめて語られることに違和感を隠さない。

「女性であることは、ひとつの特徴であり素材であって、すべてではない。『女性で生きている』わけではないので」

1976年に企画した展示「百花繚乱」の様子。写真界からは黙殺されたが、物珍しさからテレビのワイドショーや週刊誌で取り上げられたという。Photo: Courtesy Miyako Ishiuchi

同時に石内は、「女性の写真家」としてのキャリアを振り返り、「状況は変わりつつある」とも認める。勃興しつつあったウーマンリブの影響下で1976年に石内と倉田正子が企画した展示「百花繚乱」は、女性写真家10人による当時では新しい取り組みだった。ただ、「時代が早すぎた」こともあり、「百花繚乱」が日本写真史に記述されることはなかったと石内は振り返る。そして、出展した女性作家の多くは、結婚や出産を機に活動をやめてしまったという。

頭山もまた、自身がかつて「若手女性写真家」として扱われたことや、介護を女性がやることが当然とされる社会に居心地の悪さを感じると話しながら、石内の次の発言に頷いていた。

「いまでは、アーティストとして活動する女性に対して理解がある男性が増えました。だから、女性写真家が活動をつづけることができる。どれだけ女性の表現に歴史があっても、男が変わらないかぎり、世の中は変わらないんです」

アーティストトークでの石内都。Photo: 堀井ヒロツグ

さて、今回の「透視する窓辺」は、異なる世代の写真家2人が異なる時期に体験した「過去の喪失」を消化するためにやむにやまれず行った行為(=撮影)が、結果として「作品」として立ち現れたものだ。石内と頭山というアーティストが喪失感を越えて他者を理解してゆく時間が、展示というきっかけによって境界を越え交錯し、来場者の目の前に作品として結晶化する──写真というメディアが表現する時間性に改めて驚かされる。

石内は自分と頭山の作品のあいだに横たわるもう一つの共通点を、「フィルム」にあるとしながら、こう語った。

「デジタルと違ってフィルムの写真は、撮影したときに見えるわけじゃないんです。暗室という異空間にこもって、すごい匂いがする氷酢酸、ヌルッとした現像液といった液体と向き合いながら取り組む『水仕事』。まるで、染め物のようなものです。それは化学的に時間が解析される過程を、身体的に体感するプロセスでもあるんです」

KYOTOGRAPHIE 2023
会期:開催中〜5月14日(日)まで
https://www.kyotographie.jp/

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