ドクメンタ15は「反ユダヤ主義を増幅させるエコーチェンバー」──諮問委員会が最終報告書を発表
ドイツで5年に一度開催されるドクメンタは、アート界有数の国際美術展だ。2022年のドクメンタ15が閉幕しておよそ4カ月、会期中に何度も炎上した反ユダヤ主義疑惑に関する最終報告書が発表された。
反ユダヤ主義、人種差別、検閲問題に揺れたドクメンタ15
2月6日に発表されたのは、科学諮問委員会がまとめた133ページにおよぶドイツ語の最終報告書だ。同委員会は、ドクメンタの開催地であるカッセル市とヘッセン州によって任命されたもので、アート、反ユダヤ主義、植民地主義、法学の専門家が参加している。報告書で委員会は、ドクメンタ15会期中にも提起していた主張を変えることなく、イスラエルに対するステレオタイプや否定的な見方を助長する作品を通じて、芸術監督や一部のアーティストが反ユダヤ主義的偏見をあらわにしたと糾弾している。
報告書の目的は、一部の作品に関する公式な分析を行い、ユダヤ人とイスラエルの歴史の考察や、ドクメンタ15への反発に関係者がどう対応したかの検証などを通して、反ユダヤ主義が認められる客観的な証拠を提示するというものだ。そのうえで、ドクメンタ15が「反シオニズム(*1)や反ユダヤ主義(*2)を増幅させるエコーチェンバー現象(*3)」を起こしたと厳しく批判した。
*1 パレスチナにユダヤ人の民族国家を建設しようとするシオニズム運動(イスラエル建国につながった)に反対する立場。
*2 ユダヤ人に対する偏見や嫌悪。宗教や経済、人種的理由からユダヤ人を差別・排斥する思想。
*3 特定の意見や主張が肯定・評価されながら、集団内のメンバーによって繰り返されることで共鳴し、増幅していく現象。
具体的には、「反ユダヤ主義事例へのドクメンタの対応は手ぬるいもので、多くのユダヤ人市民や団体が不快な体験をした。ユダヤ人にとって、反ユダヤ主義的な出来事は単なる言説のレベルにとどまらず、ホロコーストが起きた国、ドイツにおけるユダヤ人の社会参加と安全、そして未来を脅かすものだ」と報告書に記されている。
科学諮問委員会は過去にも同様の指摘をしているが、これに対してドクメンタ15の芸術監督を務めたインドネシアのアートコレクティブ、ルアンルパや、ルアンルパが選んだ参加アーティストたちは、何度も異議を申し立てている。たとえば、ルアンルパと、グローバルサウス(*4)出身者が多い参加アーティスト65人はある声明の中で、委員会を構成する専門家たちには「ヨーロッパ中心主義の優越感」があるとして、「我われは検閲を拒否し、科学諮問委員会が設置されたことに断固抗議する」と宣言していた。
*4 グローバル化した資本主義による負の影響を色濃く受ける国や地域。低所得国が南半球に多いことから使われるようになった用語。
一方、国際的なアート界にはルアンルパを擁護する声が多い。ルアンルパ支持派は、グローバルサウスに焦点を当てたドクメンタ15が、従来ヨーロッパで開催されてきた国際美術展とは全く異なっていたために、反対派が過度の圧力をかけたと主張する。また、この件に関わるアーティストや各国の批評家から委員会に人種差別や検閲への批判が突きつけられ、ドクメンタそのものが従来の形で存続していけるのか疑問視する声すら上がっている。
しかし委員会側は、人種差別疑惑に真っ向から向き合うことを避けている。彼らのスタンスはこうだ。
「ルアンルパに対する一部の批判に見られる人種差別的なニュアンスは、私たちも感じている。しかし、それについては別の場で独立した学術的研究が行われるべきだ。ドクメンタをめぐる議論で、反ユダヤ主義とポストコロニアル批判の関係が再び公的な論争の焦点になっていることから、地域住民による議論よりもさらにオープンで客観的な話し合いを持つ必要がある。委員会のメンバーは今後こうした議論に参加したいと考えているが、今回の報告書ではこの件は扱わない」
報告書が批判した作品の何が反ユダヤ的なのか
反ユダヤ主義をめぐる論争は、ドクメンタ15の開幕前から始まっていた。参加アーティストにパレスチナのアートコレクティブが含まれていたことを、一部のユダヤ人グループが反イスラエルの姿勢を示す証拠だと抗議したのだ。
オープニングの週には、インドネシアのアートコレクティブ、タリンパディの作品が批判の集中砲火に遭った。高さが8メートルある彼らの壁画《People's Justice》に、もみあげを長く伸ばした男性の絵(ユダヤ人を示唆する)が含まれていたからだ。最終的に作品は撤去されたものの、タリンパディとドクメンタ主催者は対応が遅いと責められた。今回の最終報告書でも、科学諮問委員会は同じ批判を反復している。
タリンパディの作品のほかに、委員会が名指しで批判した作品が3点ある。サブバーシブ・フィルムが上映した親パレスチナ映画《Tokyo Reels》、Mohammed Al-Hawajriの《Guernica Gaza》シリーズ、アルジェリアの女性アートコレクティブ、Archives des Luttes des Femmes en Algérie(アルジェリア女性の闘いのアーカイブ)が展示した資料だ。
報告書には、「顕著なのは、中東をテーマとする参加作品が、ことごとく反イスラエルの立場を表していること。そして、ユダヤ人が脅威や迫害にさらされた人々として描かれないことだ」とある。
委員会は各作品を事細かに分析し、ステレオタイプな図像を含むとされる作品を、何世紀にもわたる反ユダヤ主義の歴史の中に位置付けようとしているようだ。特にタリンパディ作品中のユダヤ人を風刺する絵については、長々とした論考が展開されている。
報告書全体の約3分の1を占めるアートに関するセクションで最も深刻な問題として取り扱われているのは、こうしたアーティストたちが世界各地の植民地紛争におけるイスラエルの役割を過度に強調しており、その見方が反ユダヤ主義をさらに助長しかねない、という点だ。
たとえば、タリンパディの作品にはイスラエルの諜報機関モサドを暗示する部分がある。インドネシアのスハルト政権の苛烈な統治にイスラエルが関わっていたことを示すものだが、これは以前から歴史研究者に記録されてきた事実だ。しかし報告書では、スハルトの暴力的な独裁政権との関わりがイスラエルよりはるかに大きい国はほかにも複数あり、イスラエルの関与を強調する姿勢は「よくありがちな反ユダヤ主義のパターンに陥っている。すなわち、世界の政治的・経済的な問題の悪化にはユダヤ人が関わっているという誇張だ」とされている。
《Tokyo Reels》についても、「一方でイスラエルの存在を非合法なものとし、他方ではイスラエルに対する暴力を正当化している」として同様の批判が示されている。ちなみに、科学諮問委員会はドクメンタ会期中に《Tokyo Reels》の上映を中止するよう求めたが、主催者側のアドバイザーの判断で上映は続けられた。
また、ピカソの《ゲルニカ》など反戦を訴える作品や、ガザ地区での暴力の事例を取り入れた《Guernica Gaza》の一連の作品について、報告書は「ユダヤ人は心底邪悪で、その犠牲者はどこまでも無実であるとする二元論的観念を広めようとした」と非難。Archives des Luttes des Femmes en Algérie(アルジェリア女性の闘いのアーカイブ)の作品については、「反ユダヤ主義的な作品として再構築された絵画的要素に関する文脈の適切な説明」を怠り、イスラエルに関連する潜在的に有害なイメージが含まれていると断じた。
キュレーション手法の革新性とその問題点
今回、科学諮問委員会が発表したような報告は、ドクメンタの歴史においても、世界各地で定期的に行われる国際美術展の歴史においても、事実上前例がない。そのため、この報告書には各国のアート関係者が目を通すことになるだろう。
この報告書の批判の矛先は、芸術監督のルアンルパがドクメンタ15で採用したキュレーションの手法──最近は他の国際美術展も倣っており、人気を集めつつある──にも向けられている。ルアンルパはドクメンタ15の芸術監督に選ばれるとすぐ、アートコレクティブのリストを発表し、これらのコレクティブがさらにアーティスト集団を選定するという方式を採った。
選ばれた集団は所属アーティストを参加させる権利を与えられたため、展覧会の規模は膨れ上がり、最終的な参加アーティストの推定人数は1000人をはるかに上回った。そのほとんどが、ルアンルパが当初発表したリストに載っていなかった作家たちだ。
報告書によれば、このコンセプトは「革新的」であり、これを機に醸成されたグローバルなムードは、2022年に開催されたヴェネチア・ビエンナーレ、リヨン・ビエンナーレ、イスタンブール・ビエンナーレ、マニフェスタ14(コソボの首都プリシュティナで開催)にも感じられたという。しかし委員会は、ドクメンタ15ではこうした拡大・分散した視点が全員の見地を反映するものではなかったと指摘する。
報告書は、「ルアンルパは『脱植民地主義』の主張を掲げ、世界中の語られざるミクロな歴史の視点を研ぎ澄まし、雪だるま式に増殖していくオープンな集団によってその複雑さにアプローチすることを目指したものの、結局のところそれを達成できなかった」としている。さらに、主催者と監督機関は、炎上への対応に「十分な準備ができていなかった」アーティストたちにもっと手厚い支援をすべきだったとの見方も示した。
今後は、ドクメンタ主催母体の権限をより強固で集約的なものとし、キュレーターの裁量範囲を制限するべきだというのが委員会の提言だ(2027年に開かれるドクメンタ16の芸術監督はまだ決まっていない)。また、透明性を向上させていくことも要請している。
ドクメンタ監査委員会のクリスチャン・ゲゼル委員長とアンゲラ・ドーン副委員長は声明で、科学諮問委員会の報告書は「ドクメンタ15を揺るがした一連の出来事について、十分な根拠に基づいた深い分析だ」と評価している。(翻訳:清水玲奈)
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