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100年前の女性アーティストたちの連帯──コレクティブ形成の背景を紐解く【見落とされた芸術家たちの美術史 Vol.6】

大和絵の時代から近代に至るまで、なぜ日本史や美術の教科書に登場する巨匠は男性ばかりなのか? その社会的な理由と数少ない女性画家たちの歩みを、ジェンダー美術史を専門とする吉良智子が紐解く連載。第6回は女性アーティストが増えるにつれて創設されるようになった「コレクティブ」について。

女性のコレクティブが増えた1920年代からさらに約四半世紀後の1947年の写真。三岸節子ら11名が発足した「女流画家協会」の会員たち。写真:毎日新聞社/アフロ

──前回1900年に設立された私立女子美術学校(現在の女子美術大学)について伺いました。ここからアーティストとして活動する女性も徐々に増えていくのですよね。

そうですね。家庭をもって子どもが生まれても創作活動を続けようとする人も増えていきます。1920年代になると層も厚くなっていき、現在のコレクティブにあたるようなグループも誕生するんです。例えば、1925年創立の婦人洋画協会は三岸節子ら女子美の卒業生たちが集まって立ち上げた団体です。女性アーティストという存在が想定されていなかった歴史を踏まえると、女性アーティストが集まれる場所ができたこと自体の意義も大きかったと言えます。

──1920年代と言えばいまからおよそ100年前ですが、当時からコレクティブがあったのですね。彼女たちはどのような目的で集まっていたのでしょうか?

まず、画壇はジェンダーによる差別が激しかったという状況があります。当時の美術団体の多くには会員のランクがあり、展覧会などで入選するごとに一般出品者から会友、そして会員へとヒエラルキーが上がっていく仕組みになっていました。そして会員になると、無鑑査で展覧会に出展できるなどの特権を享受できたんです。しかし、近現代美術史、ジェンダー論を研究するキュレーターの小勝禮子さんによると、女性の場合は長く入選を積み重ねても会友どまりになってしまうケースが多かったといいます。

そのようななか、例えば1918年には与謝野晶子や小寺菊子、津軽照子といった華族婦人や文化人が集まって創立した「朱葉会」という団体の目的は、「女子の洋画に志すものが、お互いにその仕事を励まし、よりよきものを育て上げる」こととされています。

──実力によって評価される状況になかった、共通の志を持った女性たちが連帯するということですね。

女性を想定したコレクティブというだけで男性がいなかったわけではなく、岡田三郎助や満谷国四郎、辻永や藤田嗣冶といった男性アーティストが顧問や審査員を務めていました。その後、吉田ふじをや長谷川春子といった女性アーティストが中心になるにつれ、女性洋画家の団体として存在感を表すようになり、その活動は現在に至るまで続いています。

──婦人洋画協会や朱葉会は西洋画のコレクティブです。前回のお話で、花嫁修業の一環になっていた日本画は西洋画に比べてアーティストが登場しやすかったというお話がありましたが、日本画にもコレクティブもあったのでしょうか?

こちらも西洋画と同時期に増えています。例えば、1920年に月耀会という団体が立ち上がりました。こちらも女子美の出身者である栗原玉葉という画家が中心となって創設した団体です。朱葉会と異なり、最初から女性主導で発足・運営されていたコレクティブでした。

また、同じく1920年創立の八千草会という団体は、女性が画を学ぶにあたって基礎知識となる美学や歴史を教える場として発足しました。八千草会は大阪を拠点としていたという意味でも、日本画らしいと感じます。日本画は西日本での活動が活発でしたから。

生涯にわたって女性画家の地位向上につとめ、いくつものコレクティブも立ち上げた三岸節子。(1965年4月1日撮影)写真:毎日新聞社/アフロ

──コレクティブができたことで、女性画家を巡る状況にどのような変化があったのでしょうか?

グループがあることで存在が可視化され、評論が活発になりました。もちろんそれ以前も、女性の作品単体に対する評論がたまに出てくることはありました。けれど、グループができたことでそれが本格化したとも言えます。また、女性作家をとりまく環境についての議論も増えていきます。

──ようやく女性が芸術に関わることについての議論がなされるようになるのですね。

そうなんです。1939年には植村鷹千代という男性評論家が「女流作家という言葉について」という長い批評を出しました。「女流作家」という言葉はただ単に女の作家を意味する言葉ではなく、その裏には女性作家に対する差別のようなものがある。そして、そこには封建的な意味があると語っています。これが、植村が「女艸会」というコレクティブのグループ展を見たことをきっかけに書いた批評でした。

──なぜそうした批評が出てきたのでしょうか?

そもそも、女性作家へのそれまでの批評は「女性らしくていい」とか「生意気である」などジェンダーを前提としたものが多く、そもそも真っ当に作品を論じようとしていない批評も多かったんです。これに対して植村は、「女性作家の作品を真剣に評論するに値しないと決めつけるのは、『お嬢さんのお稽古事を厳格に批評してはかわいそうだ』という甚だしく封建的な論理が見え隠れしている」といった主旨のことを書いています。

──現代に通ずる問題ですが、当時からそうした批判をする人がいたのは驚きです。

はい。植村は女性作家の作品が男性に劣るのだとしたら、それは生来的な才能の問題ではなく、教育や社会の制度に問題があるのだとも説いています。植村の場合、「だから女性たちも頑張ってこの差別的な環境を改善していかなくてはならない」という議論が結論になっていて残念ではあるのですが……。とはいえ、語っていることは現在に通ずるジェンダーの問題そのものです。

──リンダ・ノックリンの「なぜ偉大な女性芸術家はいなかったのか?」ともつながるお話ですね。ありがとうございます。次回は美人画と自画像について伺えればと思います。

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