ARTnewsJAPAN

ドイツ館に長蛇の列。不穏で謎めいたスペクタクルに隠された現代社会への鋭い問い

US版ARTnewsによる第60回ヴェネチア・ビエンナーレ国別パビリオン ベスト10で1位に選ばれたドイツ館。これまでにない意欲的な構成に取り組んだドイツ館は、何をテーマにどんな展示を行ったのか。そのメッセージを読み解く。

エルサン・モンターク《Monument eines unbekannten Menschen(無名の人への記念碑)》(2024) Photo: Thomas Aurin

離れた会場の間を「旅する」ようなドイツ館の構成

今回のヴェネチア・ビエンナーレを見渡して、まず目につくのはさまざまな面で異彩を放つドイツ館だ。第一に、飛び抜けて落ち着かない気分にさせられる展示だということがある。宇宙旅行や夢遊病者、轟音、巨大な土の山など、扱っているモチーフや素材も異様で、全体的にミステリアスな雰囲気が漂っている。

さらに、会場が分散しているのも特徴的だ。今回はジャルディーニの通常のパビリオンに加え、寂寞としたラ・チェルトーザ島でも展示が行われている。この島に行き来するための水上バスはあるが、本数は少なく、そこに着いてもアートを鑑賞する以外にはやることがない。この2つの会場を見てまわるのは、あたかも旅のようだ。おそらくそれを意図しているのだろう。

キュレーションを担当した州立バーデン・バーデン美術館の館長、チャーラ・イルク(Çağla Ilk)は、ラ・チェルトーザ島の船着場を歩いているときに「Thresholds(境界)」というテーマを思いついたと展覧会の解説文に書いている。そこは普段、人々が通過するだけの場所だ。たいていの人は、水上バスを降りるとすぐ島を巡る散策路の方に向かうので、そこに至るまでの中途半端な空間には注意を払わない。だがドイツ館の展示は、こうした中間的な場所に注目し、価値を与えるものなのだ。

それを強調するかのように、イルクはナイジェリア生まれでアメリカ在住の作家、ルイス・シュデ=ソケイ(Louis Chude-Sokei)によるサウンドアート作品を船着場の近くに設置した。そこには、「私たちはあまりに早く出入り口を通過してしまう」と厳粛な様子で話すシュデ=ソケイの声が響き渡る。来場者はこの作品を鑑賞するため、普段は急いで通り過ぎてしまう場所に足を止めて、周囲に注意を払うことになる。

国別パビリオンという形式からの脱却を試みる

ドイツの展示についてもう1つ特筆すべきなのは、シュデ=ソケイのように、活動拠点としている国以外で生まれたアーティストが複数参加していることだ。ここでイルクが試みているのは、国別パビリオンというモデルからの脱却だと言える。このモデルに沿った過去の展示は、常に「ドイツらしさ」に関する固定観念に縛られてきた。そしてその問題は、(1938年に)ナチスが改修したドイツ館の建築そのものによって、いっそう強調されている。それに対し、イルクとドイツ館の参加アーティストたちは、ドイツが──あるいはほかのどんな国であれ──国境によって定義されるという考え方に意義を唱えている。

過去のドイツ代表作家たちも、成功の度合いはさまざまだが、これに似たプロジェクトに取り組んでいる。たとえば2022年のビエンナーレでは、マリア・アイヒホルンがパビリオンの床板などを一部取り去ることで建物の内部構造を露わにし、そこにまつわるファシズムの歴史を掘り起こして観客に提示した。しかし、この建築の歴史を覆す方法としてはまだ生ぬるく、説得力に欠けたと言わざるを得ない。それを今回、劇的な方法で達成したのが、建物の一部を土で覆ったエルサン・モンタークの《Monument eines unbekannten Menschen(無名の人への記念碑)》(2024)だ。

これは不穏かつ威嚇的とも思える作品で、土で覆われたエントランスから中に入ると、さらに不気味な3階建ての建物がある。その外壁はアスベスト素材「エターニット」(商品名。製造元の社名でもある)で覆われているが、これはエターニットの社員だったモンタークの父親が職場で有毒物質に晒されていたため早死にしたことに由来する。内部は泥とほこりにまみれた廃屋のようで、そこをパフォーマーたちがゆっくりと歩き回る。彼らは互いの存在に無頓着で、自分たちを見ている観客にも気付いていないかのようだ。

私が訪れたときには、モンタークの父親役の裸の男性が、上の階の壁際で死体のように横たわっていた。モンタークによると、死者が本当に消えてしまうことはなく、時折戻ってきては、そこに誰もいないと思っている人々を驚かせるのだという。

ヤエル・バルタナ《Farewell》(2024) Photo: Andrea Rossetti

モンタークのインスタレーションの外側にある巨大なスクリーンに映し出されているのは、ヤエル・バルタナの《Farewell(別れ)》(2024)だ。そこには輪になった女性たちと、ほとんど何も身に付けていない男性がいる。彼らは宇宙船を呼び寄せているか、操っているようで、特に女性たちが輪になって踊る様子は、星々の間を移動するCGの宇宙船を動かしているように見える。バルタナの作品は、人間の内的生活と外的生活は互いにつながっているというユダヤのカバラ的な考え方をベースに、地球と宇宙の彼方にある世界は私たちが気づかないような方法で結びついていることを示唆している。

プレビューが行われた数日間、ジャルディーニのドイツ館の前には長蛇の列ができていた。その理由は容易に想像できる。スペクタクル性のある展示が少ない中で、大がかりで凝ったドイツ館の展示は話題を呼びやすく、直接足を運んで見なければ分からない独特の迫力に満ちているからだ。照明を落とした館内はかなり暗いが、それはソーシャルメディアに投稿する写真を撮ったらすぐに出ていくつもりの人々を落胆させるためのようにも思われる。

ラ・チェルトーザ島に並ぶ心揺さぶるサウンドアート

しかし、ジャルディーニの列に並んでいた人々のほとんどは、ラ・チェルトーザ島まで足を運んでいなかったようだ。私が訪れたときも島は閑散としていたが、これは非常にもったいない。ラ・チェルトーザ島がより印象深いのは、島という非日常的な環境のほうが、展示全体の底流にある心をかき乱すようなトーンが強調されるからかもしれない。

2018年のSF映画『アナイアレイション–全滅領域–』に出てくる「シマー」という謎の空間を思わせるこの島には、生い茂る木々と雑草、そして廃墟以外はほとんど何もない。実は島の一角にはリゾートがあるが、近くまで行かなければ気づかないだろう。アーティストたちは、まるで別の惑星にいるかのようなこの島の雰囲気を存分に活かしている。たとえば、ヤン・セント・ワーナー(Jan St. Werner)が修道院跡で展示している《Volumes Inverted(反転されたボリューム)》というインスタレーションでは、回転スピーカーが繰り返し発する高周波音が近くにあるレンガの壁に反響し、幻聴を引き起こすことがある。今回のドイツ館の不穏さにふさわしいゴースト音と言えるだろう。

ヤン・セント・ワーナー《Volumes Inverted》(2024) Photo: Andrea Rossetti

散策路から少し外れた場所には、ミヒャエル・アクスタラー(Michael Akstaller)の《Scattered by the Trees(木々が撒き散らしたもの)》(2024)がある。これは、2つの背の高いスピーカーから水滴とさえずりの音が発せられる作品だ。アクスタラーによると、近くにある2本の木から聞こえてくる音は木々の会話なのだという。

こうしたサウンドアート作品は、気をつけないと簡単に見落としてしまう。作品の音が島の環境音に溶け込んでいることもあるが、ドイツ館のウェブサイトに情報がないこともその原因だ。さらに、作品マップも船着場の端の1カ所にしかない。このように情報がほとんど提供されない中では、鑑賞者自身の耳がガイドとなる。意図的かどうかは分からないが、今回のドイツ館の展示は、必ずしも声が大きいとは言えない人々の声にもっと耳を傾けるよう促しているのかもしれない。

ニコール・ルイリエ《Encuentros》(2024) Photo: Andrea Rossetti

ドイツ館は、異なる領域同士の交わりもテーマにしている。そして、その境界を越える手段として用いられるのが音なのだ。今回の展示の中で最も奇妙な作品、ニコール・ルイエの《Encuentros(出会い)》(2024)では、マイクが挟み込まれた皮のようなビニールシートが何本かの木の枝に吊るされ、強い風に揺れている。マイクが拾った森の音は、周囲の環境に溶け込んだスピーカーを通して耳に届く。

歩いていると、背の高い草むらからブーンという音がかすかに聞こえてきた。耳を澄ますと定期的にMRI(磁気共鳴画像装置)のようなガンガンいう音も聞こえてくる。そのときふと、それが砂利道を踏んでいる私の足音だと気づいた。私の動きは、その瞬間に耳を澄ませていた島中の人々に聞こえていたのかもしれない。(翻訳:野澤朋代)

from ARTnews

あわせて読みたい