ホイットニー美術館が業界タブーに切り込む理由──新しい作品購入の資金調達のために一部の収蔵作品を売却
ホイットニー美術館が、エドワード・ホッパー作品を含む8作品を今月開催されるサザビーズの現代アート部門イヴニング・セールに出品する。業界タブーとされる「ディアクセッション」のために。
今月開催されるサザビーズの現代アート部門イヴニング・セールに、ホイットニー美術館が所蔵する8作品が出品される。そこにはモーリス・プレンダーガスト、ジョン・マリン、エドワード・ホッパーらの作品の中でも比較的低価格帯のものが含まれ、ホッパーの油絵《Cobb's Barns, South Truro》(1930-33年)は800万ドルから1200万ドル(約10億7000万円から16億円)で落札される見込みだ。
そう、ホイットニー美術館は、「ディアクセッション(deaccession)」に手を染めようとしているのだ。
「ディアクセッション」とは、他の作品購入の資金を得るために収蔵作品を売却することで、美術界の重鎮たちの批判を買う可能性のある行為だ。しかし、多くの美術機関にとって、これは自然な成り行きとも言える。
ホイットニー美術館のキュレーター兼コレクション・ディレクターであるジェーン・パネッタは、US版ARTnewsの電話取材に対し、「我々はコレクションを増やしたいと考えています。これは2015年の移転以来、長い間抱いてきた目標であり、今回のディアクセッションはその目標を達成するための手段の一つなのです」と答えている。
同館は2015年に現在のミートパッキング地区に移転したが、そのときに開催されたパーマネントコレクション展「America Is Hard to See(アメリカは捉えがたい)」は、キュレーターが所蔵品を見直すきっかけになったとパネッタは語る。
ディアクセッションは、「存命のアメリカ人アーティストによる作品に特に注力する」というホイットニーの設立理念を実行するためにも不可避であり、また、今日のアメリカの状況が数十年前、ましてや100年前とは大きく変化していることを認識する上でも重要と言える。パネッタはこう続ける。
「ホイットニーのコレクションがアメリカという国を正確に表現することを念頭に置きつつ、(ホイットニー美術館の正式名称が、Whitney Museum of American Artであるように)アメリカンアートの美術館として、自らをどう定義していくべきかを常に考えています。その上でも、コレクションを進化させることは必須であり、我々の今後に多大な影響を及ぼし得る今ある溝を埋めるために、買収のための基金を持つ必要があるのです」
もちろん、時代が変化する中で同館が「アメリカンアートの美術館」であるという命題について向き合うことになったのは今回が初めてではない。トーマス・N・アームストロング3世が館長を務めていた1970年代から80年代にかけては、アメリカのパスポートやグリーンカードを持たないアーティストは真のアメリカ人とはみなされず、同館はこうしたアーティストの作品収蔵を見送るという決断をしなければならなかった時期もあった。例えば日本生まれのアーティスト、草間彌生による《Air Mail Stickers》(1962年)だった。喜ばしいことに、このルールは1990年に廃止された。
ディアクセッションに対する制裁
ディアクセッションを最も声高に批判するのは、著名な業界団体である美術館長協会(AAMD)だ。AAMDに法的な権限はないが、コレクションを拡充する以外の目的で作品を売却した美術館に対し制裁を加えることができ、実際に、過去にそういった事例は起きている。AAMDの制裁対象になった美術館は、作品の貸し出しやリソースの共有、その他の協会加盟施設との共同作業が実質的に禁止される。
一方、サンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)のクリストファー・ベッドフォード館長のように、ディアクセッションに賛成する者は、しばしば過激とみなされる。ベッドフォードは前職のボルチモア美術館(BMA)館長時代の2020年に、「コレクションのケア」及び、女性や有色人種のアーティストによる現代作品の取得に充てる目的で、アンディ・ウォーホルやブリス・マーデンといった白人男性作家の作品を中心に最大6500万ドル(現在のレートで約87億円)で売却しようと試みた。しかし、BMAの理事やスタッフ、美術評論家たちからの激しい反発を受け、この計画は頓挫した。
この時、ロサンゼルス・タイムズの美術評論家、クリストファー・ナイトは、「この売却案によってBMAは、コレクションに無関心な美術館の代名詞になり下がった」と批判している。ちなみにSFMOMAのベッドフォードの前任者、ニール・ベネズラもまた、2019年に美術館のコレクションから5000万ドルのマーク・ロスコを売却したディアクセッショナーであった。
一方、ニューヨークのMoMAの初代館長であるアルフレッド・H・バー・ジュニアは、MoMAの「今日性」を維持するため、存命のアーティストの作品を獲得する代わりに50年以上前のコレクション作品は他の施設へ売却するよう義務付けていた。ナイトが同じ時代を生きていたら、これをどう考えたのか知りたいものだ。
最近、ニューヨーカー誌で新作「フェリー」を発表したばかりの作家ベン・ラーナーは、同誌のインタビューで美術館のコレクションについても触れているが、バー・ジュニアに近い考えを持っていることがわかる。「アート作品もそうだが、美術館や図書館といった重要な機関だって、足し算だけでなく引き算しなければいけない。なんだって、溜め込むだけではよくないわけだ。ときには省略や手放すことも必要ではないだろうか」
実は2020年にサザビーズを通じてディアクセッションを試みたBMAに並び、ブルックリン美術館もまた、アンリ・マティス、ジョアン・ミロ、クロード・モネらの作品を売却しようとしていた。しかし奇妙なことに、BMAがオークション開催の2時間前に売却を中止したのに対し、ブルックリン美術館は続行し、約2,000万ドル(現在のレートで約27億円)の利益を得た。
両セールスは、AAMDが2020年4月、新型コロナウイルスのパンデミックを受け、「一部の機関が保有する、使途制限付きの資金」の使用規制を緩和したために実現したものだった。この規制緩和により美術館は、コレクション売却益を「コレクション管理に直接関連する費用に限定して使用してよい」ことになったからだ。
AAMDは昨年この方針を成文化したが、収蔵品売却益を美術館の運営費や美術館職員の昇給などに充てることは今もタブーとなっている。ちなみにこの規制緩和の実現に尽力したのは、ベッドフォードとMoMAディレクターのグレン・ローリーだった。
ちなみにローリーとMoMAは、昨年の9月以来、ディアクセッションをめぐる議論の中心的存在だ。というのも、サザビーズが1990年以来MoMAに貸し出してきた約7000万ドル相当の作品80点を売却すると発表したのだ。
AAMDの決定に誰もが満足したわけではない。2021年、バージニア州ノーフォークにあるクライスラー美術館のエリック・ニールは、この方針についてニューヨーク・タイムズ紙に、「絵画を入れ替えたいなら、それができる施設はほかにたくさんある。つまり、商業ギャラリーと呼ばれる施設だ」と語っている。
今回のホイットニー美術館による売却計画はAAMDのガイドラインに沿ったものかもしれないが、その意味ではベッドフォードがBMAでやろうとしたのも同じことだ。しかし、その結果は前述の通り。ホイットニー館長のパネッタは、ホイットニーが今回オークションに出品しようと計画している作品は、美術館が「長く所蔵している同じアーティスト(プレンダーガスト、マリン、ハートリー、そしてもちろんホッパー)のより強力で類似した作品があった上での売却」であると話すが、BMAはウォーホルのコレクションについて同じことを主張していた。
しかしパネッタは、ディアクセッションに拒絶反応が起きる理由も理解している。「収蔵品の永久的な管理者としての美術館の存在意義が覆される可能性がある」からだ。
ホイットニーの今回の計画には、BMAが2020年に売却しようとしたウォーホルのような大作は含まれていないが、ホッパーの名前が美術館の代名詞になっているのも確かだ。オークションに出品される絵は、同館で最近開催されたホッパー展には出品されなかったものの、かつてバラク・オバマ前大統領の執務室に飾られたこともある作品。落札されないわけがない。
いずれにせよ、どんな結果になろうと我々はこのディアクセッションの行方を見守るしかない。
from ARTnews