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アート業界が注視するアート・バーゼルの組織改革。業界外のエキスパートの採用がもたらす価値とは?

アメリカ最大級のアートフェアアート・バーゼル・マイアミ・ビーチがいよいよ12月8日から始まる(12月10日まで)。その裏で、同フェアを運営するアート・バーゼルは大きな転換点を迎えている。2022年12月、アート・バーゼルを10年以上運営したマーク・シュピーグラーが退き、過去に6年間アート・バーゼル・マイアミ・ビーチのディレクターを務めたノア・ホロウィッツがCEOとして就任したのだ。

アート・バーゼル・マイアミ・ビーチ会場となる、マイアミ・ビーチ・コンベンション・センター。2021年撮影。Photo: CindyI Ord/Getty Images

デジタルとラグジュアリー分野のスペシャリストを抜擢

2022年12月、アート・バーゼルを10年以上率いたマーク・シュピーグラーが退き、ノア・ホロウィッツが新CEOに就任した。ホロウィッツは2021年9月にサザビーズに転職するまでの6年間、アート・バーゼルのディレクター・アメリカズを務めた人物。つまりわずか1年余りで彼はアート・バーゼルに復帰したことになる。いわば「出戻り」である彼が同フェアに何をもたらすのか、人々は疑問に思った。ホロウィッツが新たに掲げたCEOという肩書き(前任のマーク・シュピーグラーは「グローバル・ディレクター」と名乗っていた)は、アート・バーゼルの企業化が進むことを示唆しているようにも見えたが、そのような組織化は、シュピーグラーの下ですでに始まっていた。

シュピーグラーはホロウィッツ就任の数カ月前、アート・バーゼルの全フェア(スイス・バーゼル、アメリカのマイアミ・ビーチ、香港、そしてパリのParis+の計4カ所)と展示プラットフォームを統括する新ポストのディレクターとして、ミネアポリスのウォーカー・アート・センターでキュレーターだったヴィンチェンツォ・デ・ベリスを採用していた。

これを引き継いだホロウィッツはさらに組織を再編成し、デ・ベリスの下に各フェアの専任ディレクターを、そして、現在フェア&エキシビション・プラットフォームのジェネラル・マネージャーを務める在籍12年のベテラン、アンドリュー・ストラチャンの下に、専任の事業・経営責任者を置いた。

この新人事戦略の中でもアート・バーゼルの今後を示すより重要な指標となりうるのは、2023年9月に発表された、アメリカの老舗月刊誌、The Atlanticの元発行人兼チーフ・レベニュー・オフィサーであったヘイリー・ローマーがチーフ・グロース・オフィサーに、元欧州サッカー連盟(UEFA)のデジタル部門責任者、クレイグ・ヘップバーンがチーフ・デジタル・オフィサーに就任したことだろう。つまりホロウィッツは、アート業界の外から重要ポストを採用したのだ。

こうした組織改革から大局を推測することは愚かな行為に思えるかもしれないが、業界出身ではない人物の採用が新しいアプローチであることは確かだ。

「指導的立場にある場合、その役割はビジネスの成長とともに変化していかなければなりません」

こう話すホロウィッツは、組織改革について次のように続ける。

「もちろん、ギャラリーのクライアントやアートコレクターとは、新規・既存を問わず緊密に連携していきます。しかし、フェアに関する日々のメンテナンスは我々のチームに任されています。CEOとしての私の仕事は、クレイグやヘイリーのような人材を配置し、社内のチームが互いにうまく機能するようにすることです」

新チーフ・グロース・オフィサーのヘイリー・ローマーは、経済誌フォーブスでのラグジュアリー広告部長、VOGUEなどを展開するメディア大手コンデナストでの法人営業担当エグゼクティブ・ディレクターを経て、The Atlanticでラグジュアリー広告部長としてのキャリアを積んだ。20年にわたるこれらの経験は、熟練したメディア・ブランド構築の手腕とともに、広く深い人脈を持つことを意味する。

一方、新デジタル部門責任者のクレイグ・ヘップバーンは、欧州サッカー連盟(UEFA)に加わる前、マイクロソフト、ノキア、インドの通信会社タタ・コミュニケーションズでデジタル・マーケティングと消費者エンゲージメントに関わるさまざまな要職に就いてきた。ヘップバーンはUEFAでこれらの経験を活かし、インタラクティブ・サービス、ストリーミング・プラットフォーム、そして同社の新Web3戦略の構築などを手掛け、「デジタル・ファースト」を推進してきた。

ヘップバーンは、スポーツビジネスを扱うSportsProが2019年に主催したカンファレンスに登壇した際、ストリーミング・サービスが普及し内容が充実する反面、消費者はどのプラットフォームにどのコンテンツがあるのか分からず、見たいスポーツイベントを見つけづらいと問題提起した。将来的には、ストリーミングが真に「摩擦のない」ものになるように、この分野が統合されるべきだと彼は続けた。

ヘップバーンは当時、「これらは率直に言って、スポーツファンのみならず利用者も我慢できない問題です」と語り、「OTT(オーバー・ザ・トップ *1)をファンにとって摩擦のないものにし、実にスムーズに感じられるようにする方法を業界で見つけ出す必要があります。今後それが最大の課題になるでしょう」と加えた。


*1 パソコンやスマートフォンなどから、回線の契約先などによらずインターネットを通じてオープンに利用できる動画や音声の配信サービス、音声通話、ビデオ通話サービスなど。
2023年6月13日、スイスのバーゼルで開催されたアートバーゼル2023のプレスプレビューに出席した、(写真左から)ノア・ホロウィッツ、ヴィンチェンツォ・デ・ベリス、フィリパ・ラモス、ジョヴァンニ・カルミネ、サミュエル・ロイエンベルガー。Photo: Jed Cullien/Dave Benett/Getty Images

「アートフェアは、今やビッグビジネスになってしまった」

ホロウィッツの人事がアート界で注目されていないわけではない。

「ホロウィッツは今、アートフェア・ビジネスを次のレベルに押し上げようとしています」

そう話すのは、1991年に自身の名を冠したギャラリーをニューヨークに設立したショーン・ケリーだ。

「ホロウィッツは、ブリジット・フィンやマイケ・クルーゼのようなアート業界で尊敬されている専門家や、ローマーやヘップバーンのようなビジネス面で優れた専門家を引き入れました。彼は緻密な業界分析の上、フェアの未来に有益な要素を戦略的に積み上げています」

では、アート・バーゼルという「ブランド」が、フェアそのものと同様に重要視される時代になりつつある今、今回の組織改革が真に意味することとはなんだろう。おそらくそれは、アート業界の他の動きにも関連しているはずだ。

ファインアートとラグジュアリーの境界線は、近年ほとんどなくなっている。NYやパリ、ミラノ、ロンドンなどで開催される主要ファッション・ウィークでは、毎シーズン、アーティストとのコラボレーションが盛んに行われている。また、スタートアップ企業は絵画をラグジュアリーな投資対象とするプラットフォームを開発している。アート業界においても、例えばハウザー&ワースは高級顧客ビジネスの強化に躍起になっており、ラリー・ガゴシアンはルイ・ヴィトンなどを傘下に収める世界最大手のラグジュアリー・コングロマリット、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)へのギャラリー売却をちらつかせたこともある。

メトロポリタン美術館は、エドゥアール・マネに着想を得たアーミッシュ家具とのコラボ商品から、葛飾北斎の《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》の「大波」をあしらったドクターマーチンのブーツまで、様々なコラボ商品をプロデュースし、ライセンス・ビジネスを拡大している。企業だけでなくアーティストもこの潮流を利用しており、ケヒンデ・ワイリーがホリデーシーズンに限定版のサッカーボールを販売したほか、MoMAデザインストアでは草間彌生のカボチャが売り出されるといった具合だ。

こうした動きの中、アート・バーゼルがアート業界最大のメディア・プラットフォームのひとつとなったのは、ほぼ当然の成り行きと言っても過言ではない。アート・バーゼルのインスタグラム・フォロワー数(240万人)は、ビヨンセやテイラー・スウィフトの数億人には遠く及ばないかもしれないが、世界的知名度を誇る美術館──メトロポリタン美術館(420万人)、ルーヴル美術館(500万人)、ニューヨーク近代美術館(580万人)──に迫る勢いだ。

1983年にNYでPPOWギャラリーを共同設立したウェンディ・オルソフは、「アートフェアは今やビッグビジネス。その影響で、この業界は、40年前に働き始めた頃とは全く違う場所になった。フェアも、ギャラリーも、美術館も、いかにして新しいデジタル時代の経済的、社会的、政治的な圧力に適応するか、今まさに取り組んでいるのだと思います」と分析する。

一方で、仮にホロウィッツがアート・バーゼルのストリーミングサービスを計画していたとしても、彼がそれを明言することはないだろう。新たなアート・バーゼル・メディアの構想があるかと尋ねられたホロウィッツは、同社が毎年UBSアート・バーゼル・レポートを発行していることに触れ、こう述べた。

「私たちには、すでに持っているあらゆる資産をさらにビジネス活用できる可能性があります。ヘイリー・ローマーのような才能ある人物を迎え入れることは、人々に、私たちの資産と顧客へのより良いアクセスを提供し、私たちが何を成し遂げられるのか、見極めてもらうということなのです」

この変化は、未来への土台づくりとしてアート・バーゼルの根本的な構造を強化するものだ。それは、批評家、美術史家、経済学者でもあるホロウィッツだからこそ成し得られるものかもしれない。

アートディーラーのアンソニー・マイヤーは、ホロウィッツの組織改革と、ラリー・ガゴシアンが2021年に取締役会を設立したこととの類似点に言及しながら、こう評価した。

「新鮮な視点は、同じものを再評価する際に必要不可欠です。サザビーズに移籍し、再びアートバーゼルに戻ってきたノア・ホロウィッツは、フェアを熟知しているのはもちろん、その新鮮な視点も備えている。ブランドのレガシーを守りながら、ブランドが一人の人間の寿命以上に長続きさせることが、ゴールなのです」(翻訳:編集部)

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