ドクメンタ15で起こった騒動を一気におさらい。キーワードは“反ユダヤ主義”
ARTnews Japanで何度もお伝えしているように、今年のドクメンタ15では反ユダヤ主義をめぐる論争が次から次へと火を吹いている。ドイツのマスメディアが憶測記事を出したり、政治家が口を挟んできたり、騒動は収まる気配がない。では、そもそも何が発端で、何が問題とされているのだろうか。ここでいったん今までの出来事をまとめてみよう。
ドイツのカッセルで5年に1度開催される国際的美術展ドクメンタ。いつもならオープニングは喝采で迎えられるのだが、今回は、6月の開幕直後から問題が発生。一般公開が始まるや否や、ある大型壁画をめぐり、ユダヤ人を反ユダヤ主義的に描いているとの激しい批判が湧き上がったのだ。
ドクメンタ側はすぐにこの壁画を撤去したが、問題はまだ尾を引いている。ドイツの政界が壁画展示の経緯についてドクメンタに説明を求め、今後の経過によっては同美術展へのドイツ政府の資金援助が削減される可能性も出てきた。一方では、この論争ではまともな対話が成立していないと批判する声もあり、作品を撤去するアーティストも出ている。
反ユダヤ主義疑惑をめぐる論争は、ドイツのマスメディアによる憶測報道に端を発している。それは、壁画とはまた別の問題で、パレスチナのアーティストコレクティブ(集団)が反ユダヤ主義的な運動に関係しているというものだ。
以下、ドクメンタ15の反ユダヤ主義疑惑をめぐる一連の騒動を、まとめて振り返る。なお、ドクメンタの歴史については、「改めて知りたいドクメンタ。第1回目はいつ? 見に行く価値はあるの? 13の素朴な疑問に答えます」をご参照いただきたい。
Q:そもそも何が問題になっているのか?
ドクメンタ開幕の数日後に撤去されたのは、インドネシアのアーティストコレクティブ、タリンパディの巨大作品《People's Justice(民衆の正義)》(2002)。展示されていたのは、カッセルの中心にある広場、フリードリヒスプラッツだが、ここはドクメンタで最も有名な会場の1つだ。高さ8メートル近いこの壮大な壁画には、1960年代から20世紀末にかけてのインドネシアの歴史の一端が描かれている。ドクメンタ15の出展作品には新作が多いが、この作品は例外的に20年前のもので、2002年に制作され、同年にアデレードで行われた南オーストラリア芸術祭で発表された。
壁画でひときわ目を引くのが、1965年のインドネシア大虐殺の場面だ。共産主義者や左派、婦人運動組織ゲルワニのメンバー、中国系市民、イスラム教信者など、数十万人が軍事クーデターの中で犠牲になったとされる。そして、この絵には、大虐殺を手助けしたのはイスラエルの情報機関だという一部の歴史家による説が暗示されている。クーデターはインドネシア初代大統領スカルノの失脚につながり、代わって実権を握ったスハルトが68年に第2代大統領に就任。その後、タリンパディが結成された1998年に辞任するまで、30年間あまり独裁体制を敷いている。
壁画には、頭が豚になり、ダビデの星がついたスカーフを巻いたモサド(イスラエルの国家情報機関)の兵士が描かれている。また、耳の前の毛を長く伸ばし、SS(ナチスの親衛隊)のマークの帽子をかぶって葉巻を吸うユダヤ人も登場するなど、全体にナチズムと反ユダヤ主義のステレオタイプが混在している。
Q:どんな経緯で壁画は公開に至ったのか?
ドクメンタ15の芸術監督を務めるインドネシアのアーティストコレクティブ、ルアンルパは、キュレーションのプロセスに十分な透明性が確保されていないという批判にさらされている。ドクメンタのようなヨーロッパの定期的に開催される美術展では、1人のキュレーターが率いるチームが全ての展示作品を選ぶのが通例だが、ルアンルパはまず協力チームを作り、そのメンバーに展示アーティストを選定する権限を委ねている。そこからの声かけで、最終的には1000を超えるアーティストが参加することになった。そして、開幕に先立ち、ドクメンタでは、選ばれたアーティストや展示作品についての審査は実施しないと発表。可能な限り芸術的な自由を実現するためだとしている。
こうした過程の中、タリンパディを選んだのはルアンルパだったと考えられている。ルアンルパが最初に集めた協力チームの一員だったようだ。タリンパディは、複数の作品がハレンブラッド・オストなどの会場に分散して展示されている。メディア向け内覧会では、これらの作品は好評を博していたが、フリードリヒスプラッツの壁画はその時点で設営が完了していなかった。つまり、国際的なメディアの多くが《People's Justice》を一般公開初日まで目にすることはなかったのだ。
Q:タリンパディ作品への反応は?
壁画の公開直後から、そこに描かれた反ユダヤ的な絵の写真がソーシャルメディアを駆けめぐり、抗議の嵐が巻き起こった。これを受け、ドイツのクラウディア・ロート文化相は、「人間の尊厳を保護し、反ユダヤ主義や人種差別、人間嫌悪を排除することは、人類共存の基礎だ。そして、ここに芸術の自由の限界が存在する」という内容のツイートをし、作品の撤去を求めた。また、在ドイツイスラエル大使館は、この作品を「ゲッペルス式プロパガンダ」と呼んだ。ゲッペルスとは、ナチス・ドイツの宣伝相だった人物だ。
タリンパディの壁画にはユダヤ人を揶揄する図像が描かれていると批判された Photo Thomas Lohnes/Getty Images
Q:ドクメンタ側はこの批判にどう対処したか?
設置から数日後、タリンパディの壁画は黒布で覆われた。翌日、ドクメンタは壁画を完全に撤去する決定を下したことを発表。タリンパディは、作品は反ユダヤ主義とは関係ないとし、こう述べた。「この作品は、対話が不可能であることを悼むモニュメントになるのです。このモニュメントが、新しい対話の出発点になることを願っています」。その後の声明でタリンパディは、反ユダヤ的な図像を描いたことは「誤り」だったと認め、謝罪の意を表明している。
Q:ルアンルパはタリンパディの壁画について何とコメントした?
作品が撤去された数日後、ドクメンタはルアンルパと協力チームのものとされる声明を公式サイトで発表。そこには、「問題は、作品に描かれた人物が古典的な反ユダヤ主義のステレオタイプに見えることに、私たちが気づかなかったことにあります。私たちは、これが誤りであったことを認めます」と書かれている。
ドクメンタの当時の総監督で、一連の論争を受けて7月に辞任したザビーネ・ショルマンは、作品の撤去直後に自身の声明を発表していた。これに比べてルアンルパの対応は遅すぎたという批判も出ている。また、ドイツのあるメディアは、彼らが十分に情報を開示していないと指摘。ルアンルパに協力するチームが参加アーティストの発掘をすることは、ルアンルパによるドクメンタ15の全体構想の一部であるにもかかわらず、その過程で正式な検討が行われたのかなど、具体的な情報はほとんど公開されていないとしている。
Q:ドクメンタの対応をドイツの政治家はどう受け止めている?
タリンパディの壁画が撤去された後も、ドイツの多くの政治家がドクメンタにさらなる行動を求めた。ロート文化相は、ドクメンタの運営組織に求められる改革について5項目からなる計画を提示し、この計画に従うことが「将来のドイツ政府の資金援助を得る前提条件」であると述べた。また、カッセルのあるヘッセン州のボリス・ライン首相が今回のドクメンタの調査を要求するなど、政府による管理強化を求める声も上がっている。
Q:ドクメンタ15をめぐる、もう1つの大論争とは?
開幕を半年後に控えた今年1月から、ドイツの複数の活動家グループが、クエスチョン・オブ・ファンディングというパレスチナのグループがドクメンタに参加することを問題視していた。カッセル反ユダヤ主義対抗同盟(Alliance Against Anti-Semitism Kassel)はプレスリリースを出し、ドクメンタ15に「反イスラエルの活動家が関与している」と非難している。なお、カッセル反ユダヤ主義対抗同盟を団体とすることについての異論もある。カッセルに拠点を置くHNAの報道によれば、反ドイツ、あるいは過激にイスラエルを支持しドイツ民族主義に反対する分派左翼の6人だけの組織だというのだ。メンバーの1人はHNAに対し、「反イスラム教ではあるが、人種差別的な意味ではない」と語っている。
カッセル反ユダヤ主義対抗同盟は、クエスチョン・オブ・ファンディングと、ルアンルパのキュレーションの初期段階に関わっていたパレスチナのハリル・サカキニ文化センターの双方を標的とし、それぞれのメンバーが、親パレスチナ運動BDS(イスラエルに対するボイコット、投資の引き揚げ、制裁)を支持しており、ドイツでは特に物議を醸していると主張。その後、別の団体からは、ドクメンタ15にパレスチナのアーティストが参加し、イスラエルのアーティストが参加していないのは反ユダヤ的だという批判も出ている。最終的な参加アーティストは1500人で、ルアンルパはその中にイスラエル人アーティストが含まれていると述べたが、それが誰であるか特定はしていない。
クエスチョン・オブ・ファンディングやハリル・サカキニ文化センターの関係者はBDSへの賛同を公言していない。にもかかわらず、ドイツの複数のメディアが、カッセル反ユダヤ主義対抗同盟の言い分が事実であるかのように報じた。中でも大手紙のディー・ツァイト紙は、タリンパディ論争が起こる数カ月前に、「ドクメンタは反ユダヤ主義の問題を抱えているのか」という論説記事を掲載している。
クエスチョン・オブ・ファンディングの展示スペースにスプレーで「187」という文字が落書きされた。187は、カリフォルニア州の刑法で殺人を扱う番号 ©Documenta 15
Q:クエスチョン・オブ・ファンディングをめぐる論争に、ドクメンタはどう対応した?
ディー・ツァイト紙が論説記事を掲載した直後、ドクメンタは反ユダヤ主義的という批判を否定し、「ドクメンタ15は批判に全力で対処する」と述べている。ドイツのロート文化大臣も、この件ではドクメンタを擁護し、反ユダヤ主義を批判する一方で「芸術の自由」を訴えていた。
その後、騒ぎが大きくなる中で、ドクメンタは討論会「私たちは話し合う必要がある! (We need to talk!)」を企画。アーティストや学者を集めて、反ユダヤ主義、イスラム恐怖症、反パレスチナ人種差別などについての議論を予定していた。しかし、開催直前の5月になって討論会を中止。展示そのもので「ドクメンタの考えを示す」と表明するに至った。
7月にはフランクフルター・アルゲマイネ紙が、サンパウロに拠点を置くユダヤ人グループが、「パレスチナに近い参加者からの抗議」を受けてキュレーターチームから外されたと報じた。このユダヤ人組織はカーサ・ド・ポーヴ(Casa do Povo)のことだという情報が流れたため、カーサ・ド・ポーヴはこの噂を退ける独自の声明を発表し、ルアンルパとドクメンタ15を擁護。初期段階に話をしたことはあるが、その後コロナ禍で頓挫したと説明し、「反ユダヤ主義とされるキュレーターのチームが私たちと仕事をする理由があるだろうか?」と問いかけている。
Q:論争について、ルアンルパのコメントは?
ルアンルパはこの論争について沈黙していたが、5月に討論会「私たちは話し合う必要がある!(We need to talk!)」が中止された後に声明を出し、反ユダヤ主義疑惑を「民族的遺産と憶測に基づく政治的立場を理由に、アーティストに非合法のレッテルを貼り、牽制する形で検閲を行う悪意ある行為」と批判した。ルアンルパはまた、こうした牽制が「主にグローバルサウス(*1)、特に中東の人々に影響を与え、検閲につながっている」とも述べている。
*1 グローバル化した資本主義による負の影響を色濃く受ける国や地域。
Q:クエスチョン・オブ・ファンディングの参加に関連して起きた事件とは?
ルアンルパが声明を発表してから数週間後、クエスチョン・オブ・ファンディングの展示スペースに「187」や「Peralta(ペラルタ)」などの言葉がスプレー塗料で落書きされるという事件が起きた。前者はカリフォルニア州刑法で殺人を扱う番号で、後者は反ユダヤ的な言動で知られ、スペインのオルトライト(極右)グループとのつながりが指摘されているイサベル・メディナ・ペラルタという人物を連想させるものだ。ドクメンタの主催者はこの襲撃を非難した。
ドクメンタに参加している多くのアーティストは、さらに一歩踏み込んで、この事件を殺害予告とみなす内容の声明に署名。破壊行為を「人種差別的」と呼び、「メディアがこの中傷キャンペーンに参加している」との批判を行った。
ザビーネ・ショルマン Swen Pförtner/picture-alliance/dpa/AP Images
Q:それらの騒動がドクメンタへ与えた影響は?
7月中旬の時点までに展示を中止したアーティストが1人いる。アーティストコレクティブ、インランド(INLAND)のメンバーとしてビデオ作品を発表したヒト・シュタイエルだ。シュタイエルはディー・ツァイト紙に送った声明で、「一部のスタッフの低賃金で安全が確保されていない労働条件」と「タリンパディ壁画問題に関する事態収集能力の欠如」についてドクメンタを批判。「複雑な対立を調停し、解決に導くために十分な能力があるとは思えない」と述べている。
6月にシュタイエルが会場から作品を撤去したのと同じ日、フランクフルトのアンネ・フランク教育研究所所長でドクメンタ15の顧問だったメロン・メンデルが、ドクメンタの任務を退き、反ユダヤ主義論争についての「誠実な対話」が困難になったと説明した。ドクメンタはこの辞任劇を「驚くべきこと」だと述べている。
さらに、タリンパディの作品が撤去された約1カ月後の7月16日、ドクメンタの総監督を務めていたザビーネ・ショルマンが、理事会との「互いの合意のうえで」退任。理事会は「残念ながら信頼が大きく損なわれてしまった」と、退任発表の声明の中で述べている。後任には、1989年にドクメンタの総監督を務めたアレクサンダー・ファーレンホルツが暫定的に就任している。
Q:今後、作品に反ユダヤ的要素が含まれているかの調査は行われるのか?
暫定総監督のファーレンホルツは、全面的な調査を行う計画はないと述べている。しかし、一部の政治家とドイツのユダヤ人グループは、再び調査を要求する声を上げ始めた。ドクメンタで、7月下旬にまたもや新たな論争が勃発したからだ。それは、アルジェリアの女性コレクティブ「Archives des Luttes des Femmes en Algérie(アルジェリア女性の闘いのアーカイブ)が、1988年のパレスチナ独立宣言をテーマにした冊子を展示したことに端を発している。
その冊子にはダビデの星をつけたイスラエル兵の絵があり、そのうちの1人は猿のような風貌で、女性に膝蹴りをくらっている様子が描かれているという。ドイツのユダヤ人団体や、カッセル市とヘッセン州の関係者は同作品の撤去を求めている。ドクメンタ側は、この作品の審査を行ったとし、広報担当者はディ・ヴェルト紙に、問題の画像は「確かにイスラエルとパレスチナの紛争に言及しているが、ユダヤ人をそのように描いてはいない」と述べた。
Q:アルジェリアの女性コレクティブをめぐる論争への反応は?
ドクメンタも、女性コレクティブも、反ユダヤ主義疑惑への反論は現時点で行っていない。ただ、この女性コレクティブは、7月中旬にドクメンタの首脳陣宛に送られ、e-fluxで公開された検閲に反対する書簡に署名をしている。その中でアーティストたちは、問題となった冊子のような作品に対するドクメンタ側の検閲を非難し、開幕以来ドクメンタ参加者に対して行われた人種差別と暴力について公式声明を出すよう要求。この書簡の署名者にはルアンルパも含まれており、ドクメンタの「構造的な人種差別と対応の不十分さ」を非難している。(翻訳:清水玲奈)
7月28日更新:カッセル反ユダヤ主義対抗同盟の詳細と、Archives des Luttes des Femmes en Algérieに関する論争の記述を追加。
※本記事は、米国版ARTnewsに2022年7月22日に掲載されました。元記事はこちら。