アート業界の最新動向──メガギャラリーが新規アーティスト獲得に躍起になる理由
世界最大手のペース・ギャラリーが、毎月のように新しい作家との契約を発表しているように感じるアートファンは少なくないだろう。実際、ペースは過去1年間で十数人のアーティストを新たに迎えており、ペースと並ぶ大手のガゴシアンも同じ動きをしている。今、アート市場で何が起きているのか、最新の業界動向とともに紹介する。
急増するペースやガゴシアンの契約アーティスト
ここ数年でペース・ギャラリーに加わったアーティストの顔ぶれは実に多彩だ。たとえば、ベトナム出身のフォン・ドディンは、美術館で個展を開いたことがないまま2022年に抜てきされた。映画監督として知られるデヴィッド・リンチも、同年10月にアーティストとしてペースに所属することを発表。また、今年3月に取り扱いを発表した韓国モダンアートの大家、ユ・ヨングクのように、世界的には知名度が低いアーティストもいる。さらに4月4日には、リスボン生まれのアーティスト、グラダ・キロンバがペースの所属になることが公表されたばかりだ。しかし、コロナ禍にあった2020年と2021年にペースが取り扱いを始めたアーティストはほんの数人で、2022年の4分の1程度にすぎなかった。
ペースのライバルであるガゴシアンも、2022年に9人のアーティストの新規取り扱いを開始し、最近では人気作家のデリック・アダムスとナン・ゴールディンが加わった。ゴールディンは、ベテランギャラリストのマリアン・グッドマンと袂を分かっての移籍を決めている。一方、同じメガギャラリーでもハウザー&ワースとデヴィッド・ツヴィルナーの動きは対照的で、過去12カ月で新たに取り扱うようになったアーティストは、それぞれ5人と3人にとどまる。なお、ここで紹介した数字は各ギャラリーに確認済みだが、それ以上のコメントは得られなかった。
ニューヨークを拠点とするアートアドバイザーのリサ・シフは、US版ARTnewsの取材に、アーティストの新規獲得合戦の背景を答えてくれた。その話によると、2020年5月に起きたジョージ・フロイド殺害事件後にブラック・ライブズ・マター運動が広がったのを受けて、アート界(および他のさまざまな業界)で人種間の格差解消への取り組みが進展しているという。
「メガギャラリーだけではなく、大小さまざまな規模のギャラリーが、コロナ禍の間にアーティストのラインアップを大幅に増強しました。その大きな原動力となったのは、アート界をインクルーシブ(包摂的)なものにしようという思いです。つまり、これまでの慣習を刷新する必要があったアート界で、やっと改革への取り組みが始まったというわけです。アーティストの獲得は早いペースで実現しましたが、大きく遅れをとっていたアート界の実態を考えると、急がなくてはならなかったのです」
ガゴシアンに見るアーティスト構成の変化
コロナ禍が始まった2020年、ガゴシアンが新たに契約したアーティストは、西洋美術史への批判を込めた作品を制作している黒人アーティスト、タイタス・カファー1人だけだった。しかし、アート界が徐々に通常活動を再開し始めると、カファーの抜てきに見られた兆候が、確かな変化として起きていることが明らかになった。2021年春、ガゴシアンは、当時Art in America誌の「新しい才能」特集のゲストエディターを務めたばかりだったキュレーター、アントワン・サージェントをディレクターに起用。サージェントがガゴシアンで手がけた最初の展覧会「Social Works」は、彼が「黒人による社会的実践」と呼ぶテーマを考察する企画で、高い評価を受けた。
それ以来ガゴシアンは、スタンレイ・ホイットニー、リック・ロー、ディアナ・ローソン、ジャデ・ファドジュティミといった女性や黒人のアーティストと次々に契約を交わしているが、ガゴシアンに所属する前は中堅レベルとされていた作家も少なくない(オーナーのラリー・ガゴシアンとの交際が噂される27歳の画家、アンナ・ワヤントもその1人)。このことからは、長年ジェフ・クーンズなどのスター・アーティストを推してきたガゴシアンが方向転換しつつあるのがうかがえる。なお、クーンズ自身は2021年にガゴシアンとデヴィッド・ツヴィルナーを離れ、ペースに移籍した。
対照的に、ハウザー&ワースは新規アーティストの獲得には慎重な姿勢だ。数年前のUS版ARTnewsの調査では、2016年1月から19年5月までに24人のアーティスト(故人を含む)を迎え入れるなど、業界の動きをリードしていた。しかし、コロナ禍が始まって以降、ハウザー&ワースの新規契約アーティストは15人にとどまっている。一方、ペースは2016年から2019年の間に14人のアーティストの取り扱いを始め、コロナ禍以降は30人のアーティストと契約している。
背後にあるビジネス面の思惑
デヴィッド・ツヴィルナーが、現役アーティストで世界最高レベルの作品価格を誇るゲルハルト・リヒターを獲得したのと、ペースがメイシャ・モハメディ、マリナ・ペレス・シモン、カイリー・マニングといった新進アーティストを加えていることは、単純に比較できるものではない。また、アーティストの新規獲得は、ギャラリーの成功度合を計るうえでの数ある指標の1つに過ぎない。ギャラリースペースの数や面積の拡大、スタッフの人数、そしてもちろん、通常は非公開である売り上げも重要な項目だ。
2022年12月にUS版ARTnewsは、ペースの新規事業「Superblue」をめぐるゴタゴタについて報じたが、一般的にアートビジネスの内幕は闇に包まれていて、舞台裏の混乱が公になることは滅多にない。しかし、故人を含むアーティストの新規獲得をめぐるメガギャラリー間の競争とその結果が、ビジネスの好不調を示すことも確かだ。
アートの経済的側面を専門に研究している文化経済学者、クレア・マッキャンドルー博士によれば、メガギャラリーが新規アーティストの起用に躍起になっているのには、財務リスクを分散させたいという思惑があるという。マッキャンドルーはUS版ARTnewsの取材にこう答えている。
「トップアーティストへの依存度を抑えることによって、純利益を確保しようというギャラリー姿勢が表れているのではないでしょうか。また、一握りのアーティストに頼るような状況はリスクが高いという認識の表れでもあると思います。業界にはある種の流動性があり、アーティストが急に他のギャラリーに移るといった事態も起こりますから」
小規模ギャラリーにのしかかる「大きなプレッシャー」
マッキャンドルーは、4月初めに最新版が発表されたUBSとアート・バーゼルによる年次リポート「The Art Market 2023」の著者でもある。同リポートによると、2022年のアート市場の規模は全世界合計で678億ドル(約9兆75億円)。巨額ではあるが、2021年比ではわずか3%増にとどまる。
過去10年あまりこのレポートを執筆してきたマッキャンドルーがUS版ARTnewsに語ったところによると、アート市場では小規模なギャラリーが苦戦を強いられている。2022年は、アート市場が「好景気」だという誤った印象を与える金融メディアの報道が多く見られたが、データの裏側を調査するうちに、業界の大部分が「相当厳しい状況にある」ことが分かったという。物流・輸送コストが大幅に上昇した一方で、買い手が「相当の値引き」を求めるようになったからだ。その結果、中堅以下の多くのアートディーラーが、「大きなプレッシャーにさらされている」とマッキャンドルーは分析している。
話題の数字:2億ドル
4月4日にシアトル美術館が発表したところによると、元マイクロソフト社長で大物コレクターのジョン・シャーリーが同館に寄贈を決めた作品の総額は、2億ドル(約264億円)にのぼる。寄贈される中にはアレクサンダー・カルダーの作品48点が含まれ、11月に公開が予定されている。
アート業界の主な動き
● パリのギャラリー、ギャルリ・フランク・エルバスが、2022年にヴェネチア・ビエンナーレでクロアチア館代表を務めたアーティスト、トモ・サビッチ=ゲカンを取り扱うことになった。今年6月に開かれるアート・バーゼルのアンリミテッド部門で、サビッチ=ゲカンの新作を発表する予定。
● ニューヨークのチェルシー地区にあるギャラリー、グリーン・ナフタリは、ジェフリー・ローレッジとマーサ・フレミング=アイヴスをパートナーに指名した。ローレッジは同ギャラリーでエグゼクティブ・ディレクター、フレミング=アイヴスはシニア・ディレクターをそれぞれ務めていた。後任のシニア・ディレクターには、コニー・ノムラが就任。
● ブリュッセルのギャラリー、スーパー・ダコタが、アメリカ人デジタルアーティスト、テイバー・ロバクと契約した。ロバクはマルチチャンネルのビデオインスタレーションやジェネラティブアートの作品で知られる。
● ロンドンのスティーブン・フリードマン・ギャラリーが、アメリカの抽象画家パム・グリック作品の取り扱いを始めた。同ギャラリーは、この春ニューヨークで開催されるアートフェア、インディペンデントとフリーズ・ニューヨークでグリックの作品を展示予定。
● クリスティーズのオークションに、アートコレクター、故アラン・プレスの5000万ドル(約66億円)相当のコレクションが保証付きで出品されることになった。シカゴの商品先物トレーダーとして財を成したプレスと妻のドロシーは、エド・ルシェやフィリップ・ガストンなどの作品を収集していた。オークションは5月にニューヨークで開催予定。
アート関連の注目記事
ニューヨーク・タイムズ紙に最近掲載されたのが、少し前にマンハッタンの注目シーンになりながら、忘却の彼方に葬られつつあったウェストビレッジのタウンハウス、ダイムズ・スクエア(Dimes Square)についてのリポートだ。ダイムス・スクエアは、地元の作家やアーティストなどが夜な夜な集う芸術サロンだが、今は閉鎖されている。同紙記者のアレックス・ヴァドゥクルが、ダイムス・スクエアが世間に知られるようになってからほぼ1年経った今になって発表した記事は、さまざまなメディアやアート関係者(今この記事を読んでいるあなたを含む)の覗き見趣味を刺激する興味深い内容になっている。
この記事はまた、多彩な活動をしている53歳の風変わりな作家、ベケット・ロセットという人物を知る手がかりにもなっている。ロセットの言葉を借りれば「高学歴で退屈した特権階級の子息たち」の奇妙な世界を覗いてみたいと思ったら、一読をお勧めする。しかし、裏で右翼の政治権力が働いているといううわさの方に興味があるなら、不思議の国のアリスよろしくウサギの穴に飛び込んで、彼らの世界に潜入するしかなさそうだ。(翻訳:清水玲奈)
US版ARTnews編集部注:本記事の内容は、最新のアート市場動向やその周辺情報をお届けするUS版ARTnewsのニュースレター、「On Balance」(毎週水曜配信)から転載したもの。登録はこちらから。
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