ドブネズミたちに捧げるアート──アサド・ラザが問い直す「鑑賞」の意味
展示室の動かなくなった天窓を修理し、自然光を取り戻すことを作品化した《木漏れ日》で、「私たちのエコロジー」展(森美術館、2024年)に参加したアサド・ラザ。自然・命あるものを作品の共作者としてきたラザが、最新プロジェクトの相棒に選んだのはネズミだった。
8月のある暑い日の午後、私はアーティストのアサド・ラザの案内でニューヨークのローワー・イーストサイドで展開されている型破りなパブリックアート展を見て回った。街のあちこちにラザの新作が散りばめられているのだが、彼と一緒でなければ決してそれに気づけないだろう。そもそもそれらの作品は私たちに向けて作られてはないのだ。
「私はこれまで、人間に向けてたくさんの作品を作ってきました。多種多様な鑑賞体験を生み出そうと試み、何度も人間を取り囲む環境の中にある生命を作品に取り入れています」
そう話すラザはこれまで、美術館内で生きた木を展示したり、川の水を展覧会場に引き込んだり、さらにはゴミを栄養豊富な土に変えたこともあった。
ニューヨークのドブネズミたちに向けたアート
今回の最新作でラザは、ニューヨーカーと共生するたくさんの生き物の1つに目を向けた。それは、私たちの足元で繁殖する何百万匹ものドブネズミだ。私を案内してくれた日の1週間前、彼は数人の助手たちと共にミニバンで街をめぐり、公園や、フェンスで囲まれた建設現場、公営住宅の外庭、ゴミ収集所など、ネズミが好みそうな場所に小さな彫刻を設置した。
その彫刻やプロジェクト全体の記録映像は、ダウンタウンに新しくできた非営利のアートスペース、タイムズ(times)で9月19日に開幕する「Thigmotaxis(the rat show)」(走触性 [ネズミ展])で公開される予定だ。制作にあたっては、都市に生息するネズミを研究している動物行動学者のマイケル・パーソンズ博士の助言を受けている。
この「走触性」とは、生物が物体との接触による刺激に反応して一定方向に動く性質のことで、捕食者から身を守るため壁際を移動するネズミの習性もその一例だ。展覧会では、鑑賞者が走触性を体験できるよう、触れることができる彫刻も壁面に設置される。ラザは彫刻についてこう説明した。
「当初はもっと建築物のような彫刻を作ろうと考えていました。ところがパーソンズ博士は、『いや、ネズミが好むのはそれよりもずっと混沌とした空間だ』と言うんです。『たとえば、瓦礫や何かの破片のような』とも言っていました。最初にイメージしていたのとはまったく違う形です」
実際、これらの小さな灰色の彫刻は、建設資材の破片やコンクリートブロックの欠片だと見間違えそうだ。また、一見、ローテクなものにも思えるが、マサチューセッツ工科大学の建築家ザイナブ・エルタイブ、マラ・ヨバノヴィッチ、ジャファー・コルブの協力を得て設計され、中にはネズミたちが気にいるように、雨水が溜まる窪みや複数の出入り口を備えたものもある。

視力があまり良くないネズミは、主に嗅覚と触覚に頼っている。パーソンズからそう聞いたラザは、「この2つの感覚に訴えられる作品にしよう」と考え、麻袋のように匂いを吸収する素材を取り入れたり、壁や床の一部に凹凸をつけたりした。
彫刻を展示する際、ラザと彼のチーム──アーティストのデヴィン・ガリンド、カニング・ファン、ジャレド・パッカード──は、ネズミたちの夜間の反応を捉えるためのカメラを作品の周辺に設置した。彫刻には関心を示さないのではないかと心配していたが、映像を見てそれが杞憂だったと知り大喜びしたという。
「最初はネズミたちが彫刻に接触しているところを見るたびに、ミニバンの中でハイタッチしていました」
彫刻の中に餌を置いてネズミをおびき寄せる方法も考えていたが、それは結局効果がなかった。
「どうも怪しい──そう警戒されたのでしょう」
水や土を取り入れたラザのアートがもたらす「啓示」
ここまで読んでくれた読者なら想像がつくと思うが、ラザに「あなたの表現媒体は?」と尋ねるのは愚問だ。ラザのウェブサイトには「よくある質問」ページがあり、そこで彼は自らの創作活動について、「展覧会の会場やその外で行われる、代謝的かつ能動的な出会いとしてのアート」と説明している。そして、このサイトのトップページには、ウィキペディアの曖昧さ回避のような自嘲的な紹介文が載っている。パキスタン系アメリカ人でベルリン在住のラザは、自身の名前がどれほどありふれているかを示すため、世界の著名なアサド・ラザたちを列挙しているのだ。
現在ニューヨーク州の北部で開催中の第1回メディナ・トリエンナーレで、ラザはエリー運河の水を展覧会場に引き込んでいる。フランクフルトの展覧会でも同様に、マイン川の水を美術館内に引き込み、来場者がその水の中を歩いたり、ろ過装置を通して飲用可能になった水を飲んだりできるようにした。US版ARTnewsの姉妹誌アート・イン・アメリカの記事で彼が説明しているように、このプロジェクトの目的の1つは、現代の都市では隔てられることが多い人間と水域とを再び結びつけることだった。
詩人のクラウディア・ランキンは、最近衝撃を受けた「啓示的なアート」についての寄稿記事の中で、ラザの《Absorption(吸収)》(2019)を挙げている。これは、都市生活で出るゴミなどを混ぜて作った栄養豊富な土を会場に敷き詰め、来場者が耕したり持ち帰ったりできる参加型作品だ。記事の中でランキンは、「ラザの作品は変化と成長を尊ぶものだと考えたい。全てが終わった後、私たちが信じてきた全てのものが崩壊した後も、それ(土)は残るからだ」と書いている。

2015年、ラザは自らがキュレーションした展覧会「The Home Show(ザ・ホームショー)」を、ソーホーの自宅アパートで開いた。それについて私はアートネット・ニュースに記事を書いたが、この展示はそれまでの彼の立ち位置を逆転させるもので、かつ彼自身に大きな影響を与える機会にもなった。
ラザはこの展覧会のため、アーティストや友人、家族など36人に声をかけ、彼の生活に何らかの形で介入するよう依頼している。それ以前の彼は主にプロデューサーとして活動し、2010年にグッゲンハイム美術館で開かれたティノ・セーガルの展覧会や、2015年にパーク・アベニュー・アーモリーでフィリップ・パレーノが発表したインスタレーションの制作などを実現させた。その彼が、アーティストとして独自の作風を確立しつつあったのがこの頃だ。
そして「The Home Show」の2年後、彼は生きた木々を使ったインスタレーション《Root sequence. Mother tongue(ルート・シークエンス。母語)》(2017)で、ホイットニー・ビエンナーレへの参加を果たしている。この作品を担当した会場の係員たちは、木々の世話や来場者への応対のほか、パフォーマンスを行ったり、自身の過去を象徴する小物を持ち寄ったりといくつもの役割を担っていた。
ローワー・イーストサイドの笛吹き男
ネズミの彫刻が展示されている場所を私と回りながら、ラザはこれまで手がけてきた多種多様なプロジェクトについてこう語った。
「自分の企画に対しては、毎回ちょっとした怖さを感じないといけないと思っています。とてつもなく恥ずかしい思いをする馬鹿げたアイデアかもしれない、そう感じるようなものでないと」
もちろん、昨今ではアート作品に生き物を取り入れるのは突飛なことではない。動物の力を借りて作品を制作したり、自然界に対する人間の介入に言及したり、人間以外の存在が体験している世界に光を当てたりと、アーティストはさまざまな方法を試みている。たとえばアグニエシュカ・クラントはシロアリが作った彫刻を発表し、エドゥアルド・カックは生物工学で光るウサギ生み出し、デューク・ライリーはハトの空中バレエを振り付けた。
こうした作品は、動物愛護活動家たちから批判されることもある。たとえば、虫やサソリなどのさまざまな種が展示ケースの中で死闘を繰り広げるホァン・ヨンピンのインスタレーションや、ランニングマシンの上に繋がれた犬たちが向かい合わせにされ、互いに飛びかかろうとしてもがくペン・ユーとスン・ユアンの映像作品が展示されたグッゲンハイム美術館の展覧会のように。
人間と生理学的・遺伝的な類似点を持つネズミは、医学研究の実験によく使われる。それに、ネズミとニューヨーカーにはもう1つ共通点がある。ネズミの棲家は「burrows(巣穴)」、ニューヨーカーが住んでいるのは「boroughs(区)」(両方とも発音はバロー)だからだ。しかし、ネズミは私たちのために犠牲になってくれているのに愛されることはほとんどなく、依然として不潔さや病気の象徴と見なされている。
パーソンズによると実験用ラットと野良ネズミには、チワワとオオカミほどの違いがある。しかも、ネズミは至るところにいるにもかかわらず、その生態についてはほとんど知られていないという。
実は、この小動物に魅了されているのはパーソンズだけではない。それはプロジェクトのもう1人のコンサルタントで、ドブネズミをテーマにしたニューヨークのガイドツアーを実施しているケニー・“ザ・ラット・ダディ”・ボルワークという人物だ。
アート作品の中にもネズミは頻繁に登場する。この生き物をこよなく愛するバンクシーは、自ら編集を手がけた作品集『Wall and Piece』の中で、ネズミは(彼自身のように)「誰の許可も得ずに存在するもの」だとし、「汚く、取るに足らず、愛されない人にとって、ネズミこそが究極のロールモデルだ」と述べている。
また、カタリーナ・フリッチュの巨大彫刻《Rat-King(ネズミの王)》(1993)は、複数のネズミの尻尾が絡み合ってしまう奇妙な現象を題材にしている。さらに、ブルース・ナウマンが1988年に制作した映像インスタレーション《Learned Helplessness in Rats (Rock and Roll Drummer)(ネズミの学習性無力感 [ロックンロール・ドラマー] )》は、下手なドラマーが鳴らす音にさらされながら迷路を進もうともがくネズミが主役で、科学研究の概念を皮肉っているかのような作品だ。
「何だかサディスティックですね」──ナウマンの作品について話すとラザはそう言った。彼は自身の作品で関わるうちにネズミに親近感を抱くようになったという。
「彼らもこの街の一部なのだと理解できました。私たちの共生者です」
それに、ネズミは無数にいる。ある都市伝説によるとニューヨークに住むネズミと人の割合は5対1だそうだが、2023年の調査ではネズミの数は300万匹程度、つまり人間3人につき1匹の割合だと推定されている。そんな彼らは3日間も泳ぎ続けることができ、1メートルを優に超える跳躍力を持ち、25セント硬貨ほどの小さな穴を潜り抜けられる。
驚くべき能力を持つこの生き物を減らそうと、ニューヨーク市は懸命に取り組んできた。2023年、当時のエリック・アダムズ市長はキャスリーン・コラーディを対策担当の「ネズミ皇帝」に任命。就任時に彼女はこう約束した。
「これから皆さんは、しょっちゅう私の顔を見ることになるでしょう。そのかわり、ネズミを見かける機会はぐっと減るはずです」
2025年に彼女がその職を辞任した際、英ガーディアン紙は「ネズミの競争にネズミが勝利」という皮肉たっぷりな見出しでそれを報じた(「ネズミの競争(rat race)」は出世争いや競争社会を意味する)。
「ネズミ皇帝」はいなくなったが、ネズミも減った
現職のゾーラン・マムダニ市長は、当面コラーディの後任を決める予定はなさそうだ。しかし、彼女の就任時の約束の後半部分はすでに現実のものとなっている。
これまでゴミ回収車が来るまで歩道に置かれたままになっていたゴミ袋は、市が企業や集合住宅に働きかけたことで指定時間に密閉容器に入れて出されるようになった。ネズミたちが楽しんできた「屋外ビュッフェ」が減った結果、ネズミの目撃件数は18カ月連続で減少した。つまり、ラザが作品のオーディエンスとして想定している動物の数は減り続けているのだ。
彫刻の展示場所が点在するヘスター・ストリート沿いを歩きながら、ラザはこのプロジェクトを通じて「アート作品を体験する」とはどういうことかを問いたいと語った。彼にとってそれは、はっきりこうだとは言えない、曖昧な体験だという。
その着想源として彼は、イマヌエル・カントが『判断力批判』で芸術について論じた言葉を挙げた。美には「目的なき合目的性」があるというこの言葉から、ラザはこう考えた。
「ネズミたちにとって、不思議と自分たちのために作られたように感じられるが、実際には何の目的もないもの。それをどうすれば生み出せるだろうか? 単にネズミが好む、たとえばネズミ用の滑り台のようなものにはしたくない。それは、ネズミにとっても少し謎めいたものでなければならない」
「変な言い方ですが、それが展覧会なんです」と彼は言い、ギャラリーに並ぶ展示物は、どちらかというとその記録に過ぎないのだと付け加えた。
多くのニューヨーカーは、この街に対する愛憎入り混じった感情を口にする。しかし、この街で一番の嫌われ者を以前より深く知るようになり、そしておそらく彼らの目を通してこの街を見たことで、ラザのニューヨークへの愛は深まった。
「この街の魅力に改めて取り憑かれています。19歳の時にバッファローからニューヨークに出て来て、『なんて魅惑的で、クールな街なんだろう』と思っていた頃のように」
ラザと私は、マンハッタン・ブリッジのたもとにある何の変哲もない通り沿いの、落書きだらけの壁の脇に立っていた。ゴミやネズミの尿の臭いが漂い、地下鉄が耳をつんざくような轟音を立てて頭上を走り抜ける中、ラザは満足げにあたりを見回した。
「このエリアが大好きなんです」
アサド・ラザの展覧会「Thigmotaxis (the rat show)」は、ニューヨークのラファイエット・ストリート151番地4階にあるtimes(タイムズ)で、年9月19日から12月12日まで開催される。(翻訳:野澤朋代)
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