古代エジプト重要神官のミイラを手つかずで発見。再発掘で美しいレリーフや未知の礼拝室も

エジプト古王国時代、複数の王に仕えた重要な神官の手つかずのミイラが、サッカラ遺跡で見つかった。19世紀の部分的な調査後、砂の下に埋もれていた遺構が再発掘されたもので、保存状態の良いレリーフやこれまで知られていなかった礼拝室も出土している。

エジプト・サッカラ遺跡での再発掘で出土した保存状態の良いレリーフ。Photo: Egyptian Ministry of Tourism and Antiquities

エジプトのサッカラ遺跡で考古学調査を行っているチェコの研究者チームが、エジプト古王国時代(紀元前2686年~紀元前2181年頃)における高位の神官や官吏の墓所群を再発掘した。エジプト観光考古省の発表を受け、現地メディアのアハラム・オンライン(Ahram Online)が第一報を伝えた。

カイロから約32キロ南方に位置するサッカラ遺跡は、紀元前3100年頃に築かれ、西暦7世紀に放棄された古代エジプトの都メンフィスの主要な埋葬地だった。チェコのエジプト学研究所によるプロジェクトの一環として行われている発掘は、19世紀に部分的に調査されたものの、その後再び埋もれてしまった墓の位置を特定し、発掘・記録することを目的としている。

これらの墓を初めて発見したのはエジプト考古局を創設者したフランス人エジプト学者オーギュスト・マリエットで、1858年から60年にかけて発掘調査が行われた。この時期にマリエットは、同地域で古王国時代のものと見られる約160基の墓を特定している。しかし、当時の調査は主要な遺物に重点が置かれていたため、それ以外の部分は未調査のまま残され、記録も不十分だった。

今回チェコの研究チームが調査した主な遺構には、メンフィスのプタハ神崇拝における高位の神官だったサブ(Sabu)とその息子プタハシェプセス(Ptahshepses)の墓がある。また、これまで知られていなかった部分の発掘や記録も行われたが、その中には19世紀にマリエットが発見できなかった、サブの妻イケトネフェルト(Ikhetnefert)の礼拝室も含まれている。

プタハシェプセスの墓の北側に位置するサブの墓の外壁は王宮を模した造りで、その地位の高さがうかがえる。また、墓の内部からは、サブとプタハシェプセスが供物を捧げ持つ人々の行進を指揮する様子を描いた保存状態の良いレリーフが発見された。

一方、イケトネフェルトの礼拝堂には偽扉(実際には開かない見せかけの扉)があり、そこにはイケトネフェルトが夫や2人の息子、プタハシェプセスとラネフェル(Ranefer)とともに描かれた装飾が施されている。チェコ調査団のリーダーであるミロスラフ・バルタによれば、これは同調査団による最も重要な発見の一つで、家族構成や家族間の関係性について新たな知見をもたらすものだという。

調査チームはまた、衛星画像と現地調査を組み合わせることで、プタハシェプセスの墓の位置を突き止めた。墓所からは石灰岩の石棺に収められたミイラが手つかずの状態で見つかり、亡くなったのは60歳を超えてからであることがその後の調査で判明した。当時の平均寿命からすると、極めて長命だったと言える。

現存する書面の記録によれば、プタハシェプセスは第5王朝の4人の王、サフラー、ネフェリルカラー、ラネフェレフ、ニウセルラーの下で要職を務めた。さらに、第5王朝の創始者であるウセルカフ王の娘である王女カマアトと結婚し、王族以外で初めて王族と婚姻関係を結んだ人物とされている。

エジプト最高考古評議会のヒシャム・エル=レイシー事務局長は声明で、チェコ調査団による再発掘の重要性は、古王国時代における官吏たちの信仰や社会生活に関する新たな情報が、現代の科学的手法を用いた遺跡調査・記録で明らかになりつつあることだと述べている。(翻訳:石井佳子)

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